ブラックマヨネーズ 大阪時代はMー1に出ていないと差別があった

学生の窓口

14日に放送された「いろもん極 笑福亭鶴瓶×さまぁ~ずVS木梨憲武・ブラックマヨネーズ」(日本テレビ)にゲスト出演したブラックマヨネーズ。大阪時代にあったできごとを明かした。

「いろもん」は、1997年10月から2002年3月まで日本テレビで放送されていたバラエティ番組。今回は、「極」としてスペシャル番組としての放送となった。

「いろもん」がレギュラーとして放送されていた時期は、まだ大阪にいたため初出演になるブラックマヨネーズのふたり。

2005年12月25日の第5回M-1グランプリで優勝し、3378組の頂点に立った。
当時は無名だったブラックマヨネーズは、優勝候補の名前にはあがっていなかったそうだ。

大阪では大林素子と一緒に仕事をしていたため知っているはずなのに、まるでブラマヨのことをしらなかったようなコメントを出すほど、知っていることの方が恥ずかしいと思われるほど、世間には知られていなかった。

大阪では、「M-1の優勝戦に出ないと、漫才をやっているかやっていないかの差別が凄くあった」という吉田。

M-1いけている組といけていない組と区別され、大阪で仕事をしていても、「M-1出ていないやん」と言われてしまうことがあり、出場前には緊張感があったことを明かした。

その後、時間差でブレイクをしたブラマヨ。


今は、デブキャラで通っている小杉だが、若かったときには、ツッコみとしては適さないと言われ、「仕切っている人で太っている人間はいるか?」と痩せるよう言われていたことも明かしている。

「ブラックマヨネーズ 大阪時代はMー1に出ていないと差別があった」のページです。デイリーニュースオンラインは、エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧