大ヒット中の映画『バクマン。』にオッサン視聴者が共感できないワケ

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映画『バクマン。』公式サイトより
映画『バクマン。』公式サイトより

 映画の実写版『バクマン。』を見てきました。見たけど、うーん……。

 そもそも僕は原作の『バクマン。』が苦手なんですよね。若者たちが生き急いでいるように見えて見てて辛い。それでも映画版は「原作よりも共感しやすい」という話を周りから聞いたので見てみたんですが、うーん……やっぱり、うーん……。

 原作の『バクマン。』をまるきり否定する気はないんです。ただ、『バクマン。』は読者の年齢層で大分受け取り方が変わってくる作品だと思うんですね。原作者はおそらくジャンプの主要読者層である小中高校生に絞ってターゲッティングしています。「小中高校生の琴線に触れる作品」ではあるのだろうな……と、理解はできるけど、僕のような子供心を忘れた良い歳こいたおっさんが見ると、「あいたたたた」となってしまう。

サイコーくん、キミはいんぐりもんぐりしたいんやな?

 この作品は主人公の動機付けからして失敗していると思うんですよね。W主人公の片割れである真城最高(サイコー)はクラスの女子、亜豆美保が声優を目指していることを知り、「自分の漫画がアニメ化されたらヒロインを演じて欲しい。その時には結婚してくれ」という約束を取り付けます。それが主人公が漫画を描く一番根底の動機になっているわけです。他にも漫画家の叔父への想いとか、ライバルの新妻エイジへの対抗心とか色々あるんですけど、根底はやっぱりこれ。結婚するというのは、まあつまり、亜豆美保といんぐりもんぐりがしたいと、そういうことですね。

 それでこのサイコーくん、非常にムチャをする。高校に通いながら週刊連載してるだけでもハードすぎるスケジュールですが、血尿出してブッ倒れて入院しても、周囲の反対を振り切って漫画を描こうとする。「夢に向かって一直線!」とか「命懸けでガムシャラ!」みたいな熱い雰囲気を出したいのだとは思うのですが、でもねー、見てるおっさんとしては、「分かった! サイコーくん、きみはいんぐりもんぐりがしたいんやな? そうやな、いま必死に頑張ったら、クラスの憧れの女子といんぐりもんぐりできるんやもんな!」となってしまう。

 実際、恋愛って難しいですからねー。どんなに頑張ってもダメな時はダメ。でも、サイコーは自分が頑張って成果を出せば、恋愛成就していんぐりもんぐりできる。達成条件が明確に分かる。亜豆は自分を置いて先に行こうとしている。でも今ならまだ間に合うかもしれない! いま無理してバクチを打てば、きっといんぐりもんぐりできるんや! ワイはやるしかないんや!!(注)

 というわけで、作中でサイコーくんがどんなに無理をしても、「熱血!」とか「青春!」とか以前に、「分かった! いんぐりもんぐりしたいんやな」となってしまう。キャラクターの最初の動機をいんぐりもんぐりにしてしまったせいで、何をやっても「童貞がいんぐりもんぐり目指して生き急ぐ話」に見えてしまう。

 僕は原作連載中からずっと「サイコーは風俗とかで童貞捨てれば、もっと余裕持って生きれるんじゃね」と思ってました。しかしこれが冒頭に挙げた「読者の年齢層で受け取り方が変わる」というやつで、僕のようなおっさんは「無理すんなよ」「とりあえず童貞捨てて落ち着けよ」となるわけですが、たぶんもっと若い人たちには「純愛!」「青春!」「熱血!」という感じに映るのでしょう。たぶん。

 おっさんにも若い人にももちろん例外はあると思います。ですが、社会人経験のあるおっさんたちは概ね「身体壊したら無理せず休もうよ。周りも迷惑だから」と感じるのではないでしょうか。そこで若者が「で、でも! いま俺が頑張らないと……クラスメイトといんぐりもんぐりできないんだ!!」と言ってきたら、「分かった! 気持ちは分かった。けど、童貞はいつか捨てれるから、とりあえず落ち着こうな」と言いたくなるのです。

 おっさんになると「純愛」とか「運命の相手」とかいう観念が薄れてきて、「要は肉欲を満たしたいんだな」と自分の感情を分析できるようになります。なのでサイコーが肉欲に駆られて無理をしている姿を見ても「若いなあ」としか思わないのですが、まだそういうロマンチックな観念を保持している年頃の人たちが見ると、これも良い話に見えるのでしょう。たぶん。

(注:血尿出してブッ倒れ、亜豆から別れ話(?)をされた後のサイコーが何をモチベにして漫画を再び描き始めたのかは解釈の分かれるところです。亜豆からサイコーへの言葉、「ずっと待ってられない、先に行くね」が別れの言葉なのか、ハッパをかけてるのか、立場と心情の板挟みの吐露なのかも難しいところで、別れの言葉と考えるなら、「女に捨てられたので新妻エイジとの戦いに専念した」となりますが、僕は「まだ決定的にフラれた訳ではないと考え、アニメ化に一縷の望みを託した」と理解しました。亜豆の言葉はまだ決定的な別れ話ではなく、事務所の意向に従わざるをえない立場であり本意ではないこと、しかし放っとけば亜豆の心はサイコーから離れて仕事へ流れていきかねないため、いま亜豆の心を繋ぎ止めるには急ぎアニメ化を達成して例の約束へ彼女の心を引き戻さなければならない、そのために「バクチ」を打つ、巻頭カラー掲載を間に合わせる、という解釈です)

サイコー、カッコ悪い

 週刊少年ジャンプでの連載を目指す主人公二人(サイコーとシュージン)は非常に生き急いでおり、高校に通いながら連載をするという一事を取ってみても、おっさんからすれば共感しがたい話です。ただ、これが若い人たちにウケるのは非常によく分かるところで、要は「大人の世界」なんですよね。高校生はジャンプを「読む」側なのに、俺たちは「描く」側だ、お前たちとは違う、俺たちは大人の世界に片足以上突っ込んでいるのだ、という感覚です。

 僕も中学生の頃は新聞配達をしている同級生がカッコ良く見えたものです。子供なのに大人の経済活動をしてるのがカッコイイんですね。大人の仲間入りしてる感じで。なので、サイコーとシュージンは高校生なのに無理して週刊少年ジャンプで連載をする。高校生なのにジャンプで連載してるのが(若い視聴者から見て)カッコイイから。

 しかしこれもおっさんから見ればどうでもいい話で、だって高校生でデビューしようが、卒業後にデビューしようが、芸歴が一年、二年違うだけの話ですからね。大人の世界で経済活動を十年、二十年やっているおっさんから見れば誤差の範囲です。それでも高校生活を十分にエンジョイした上で、さらに大人に混じって漫画を描いてるならカッコイイんですけど、サイコーとシュージンは学園生活がほぼ壊滅しています。卒業式の日に式をブッチして教室に残った二人の会話が印象的です。

「別にこの学校に想い出なんかないし」
「後半はほとんど寝ていただけだったし」

 と、こんなことを言うのですが、おっさんからしてみれば、高校生なのに背伸びをしたせいで、普通の高校生が享受できるはずの喜びすら見失っているわけです。それと引き換えに手に入れたのがたかだか一年、二年の芸歴アドバンテージ。失っているものの方が遥かに大きいと感じるのです。

 いっそ高校に進学しないとか、高校中退して漫画を描くとか、そこまですれば「またそれも生き方」と思えるのですが、足枷にしかならない学園生活を無駄に消耗していく姿が非常にカッコ悪い。卒業式には出ない。でも卒業式の日に学校には行く。「なんとなく行くだけ行っている」。この精神性……! カッコ悪い!!

 ただ、これも理解はできるところで、リアルの学生たちも多くは学園生活に充実感を感じられずにいると思うんですよね。なので、学園生活は無駄に消耗しながらも、それでも打ち込めるものを持っているサイコーとシュージンに共感して、「カッコイイ」と感じるのも分からなくはなし。おっさんの視点から見ると、「高校生活をエンジョイするのも大切なんだよ」となるわけですが、当の高校生たちからしてみれば、「だって現に高校つまんねーんだぜ!?」となってしまうのでしょう。

 個人的には「人並みの学園生活すら享受できなかったやつらに、少年を楽しませる漫画が描けるのか?」と疑問に思うのですが(だって彼らは「楽しいこと」を理解できてないんでしょう?)、まあそこは作中で「描けた」ということになっているので描けたんでしょう。ルサンチマンでも作品は作れるっちゃ作れる。

でも、原作がイケルなら実写もイケル

 というわけで、本作はおっさん的には全く共感できない「生き急いでる若者の話」なのですが、一方で、これ、原作書いてるのもおっさんなんですよね。ここまで若者たちの感性を理解して、若者たちをターゲットに作品を作り、現にヒットさせた、という点ではすごい作品だとも思います。プロ根性を感じる。

 なお、上記はそもそも原作にも内在している問題なので、映画としてどうかと言われると、映像表現は非常に素晴らしかったです。プロジェクションマッピングも見事に機能していましたし、エンドロールには作り手の遊び心とアイデアが詰まっていました。なので、漫画の実写化作品としてのクオリティ自体は高く、原作の雰囲気を受け止められる人ならば、実写映画版も十分楽しめるんじゃないですかね。

 また、原作ではサイコーと亜豆の恋愛模様があまりにも気持ち悪く(若い人が見ると「一途な純愛」なのかもしれません)、ちょっと見ていられないレベルでしたが、映画の方では二人の関係性にアレンジが加えられており大分共感しやすいものになっていました。ハッキリ言うとサイコーの恋が実らない。僕の周りの人たちが「原作よりも共感しやすかった」と言っていたのは、たぶんこの点なんだろうなあ。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『ダンゲロス1969』(Kindle)

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