ついに天龍源一郎引退で「昭和プロレス」は終焉か

デイリーニュースオンライン

天龍源一郎オフィシャルサイトより
天龍源一郎オフィシャルサイトより

 2015年11月15日、プロレスラー天龍源一郎が引退———。

 天龍は13歳で角界入り。部屋騒動での廃業を経て(注1)、26歳でプロレスに転向して、ザ・ファンクス、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディら世界の強豪に胸を借りて成長。同世代の長州力やジャンボ鶴田とシノギを削り合い、ついには両巨頭ジャイアント馬場とアントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人となった。つまり誰もが認める日本一のトップレスラーだ。

 最近では滑舌の悪さがなぜか大ウケ。競馬実況をやったり、バラエティ番組に呼ばれたりして、若い世代にも名前が広がっている。

「その天龍も65歳。年齢的な衰え以上に、3年前に受けた脊柱管狭窄症の手術の経過がよくない。歩くにもヨタヨタしているくらいで、リングに上がり続けていたのが奇跡的です。ところが引退試合の相手に自ら選んだのが、現役バリバリどころかIWGPヘビー級チャンピオンのオカダ・カズチカ(28)。全身ガタガタなのに37も年下の王者と闘うのだから、妥協を嫌う天龍らしい」(スポーツ紙記者)

 結果はともかく「天龍革命」で業界の常識をひっくり返した(注2)男だけに、爪痕は残すはず。天龍の全盛期を「知らない」というオカダに、

「兄ちゃん、昭和プロレスを味わう最後のチャンスだぞ」

 と、戦前から不敵に挑発しているのだから…。

「昭和プロレス」とは何だったのか

 そう昭和プロレス。皆さんの周囲にも、探せばいるはずだ。いい歳こいてプロレスの話になると熱くなるオジサンが(注3)。かたや故人、かたや引退して20年以上だと言うのに、まだ「馬場と猪木はどちらが強いか」を激しく論じ、アンドレ・ザ・ジャイアントの巨大さを語る。やたらとプロレスラーのセリフや事件のエピソードを引用し、SNS上では当時の話で盛り上がる。

 オカダや棚橋弘至らによる最近のプロレスが人気と聞くと、「あんなもの、昭和の熱い試合に比べればさぁ」とくさす。

 こういう人たちを大量に作ったのが、「昭和プロレス」だ。ライトに楽しむ今のファンに比べ、より人生にプロレスを色濃く反映しているのが特徴か。

「プロレスを真剣勝負と思っていた人が多かったからでしょ」

 と冷静な平成のファンは言う。確かに、それもある。しかし最大の要因はメディア環境だろう。昭和といっても長いので紆余曲折(注4)あるが、多くのファンが同時にゴールデンタイムのテレビ中継を見て、同じ専門誌(注5)をむさぼるように読む。共有体験が共通言語となり、強固な連帯感となったのだ。

 ゆえに平成になって団体が爆発的に増え、テレビ中継が深夜帯に降格され、インターネット環境が整うのに連れて、この種のファンは生まれにくくなった。

 天龍は、そんな濃いファンたちを背負って闘う姿勢をオカダに刻みこむ。

 日本のサブカルチャー、エンターテインメントの中でも特殊な発展をとげた「昭和プロレス」なるジャンル。このまま絶滅していくのは惜しいのだが。

 オカダの口癖は、「おつかれさまでした」……。

(1) 相撲を廃業…最高位は西前頭筆頭。
(2) 常識をひっくり返した…地方興行でまったく手を抜かなかった。
(3) 熱くなるオジサン…筆者もその一人。
(4) 紆余曲折…テレビ朝日、日本テレビともプロレス中継は1988年にゴールデンタイムから撤退した。日本テレビは二度目の降格。
(5) 専門誌…共に月刊誌だった「プロレス」は1983年、「ゴング」は1984年に週刊化して部数を伸ばした。

著者プロフィール

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コンテンツプロデューサー

田中ねぃ

東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。Daily News Onlineではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ

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