30本塁打でも引退!? 好成績の年にプロ野球界を去った男たち (1/2ページ)

デイリーニュースオンライン

今年の夏の甲子園では始球式も務めた王貞治氏。30本塁打を放って引退した
今年の夏の甲子園では始球式も務めた王貞治氏。30本塁打を放って引退した

 11月も半ばを過ぎ、今年のプロ野球を振り返れば、大物選手が次々と引退を表明したシーズンでもあった。

 近年はトレーニング理論の発達やサポート体制の強化、また選手自身の自己管理意識が高まり、ベテラン選手の活躍も増えている。多くの実力者が30代後半〜40代までプレーするようになり、力尽きるまでプロ野球選手人生を全うする流れだ。

 引退を表明した主要な選手の、今シーズン成績は以下の通り。

山本昌(50)  1試合/0勝0敗/防御率9.00
中嶋聡(46)  2試合/打率.000/0本/0打点
斎藤隆(45)  3試合/0勝0敗/防御率7.71
谷繁元信(44) 30試合/打率.277/1本/4打点
和田一浩(43) 79試合/打率.298/5本/26打点
西口文也(43) 2試合/0勝1敗/防御率9.00
谷佳知(42)  11試合/打率.185/0本/3打点
小笠原道大(41)53試合/打率.294/0本/8打点
髙橋尚成(40) 6試合/0勝1敗/防御率8.64
小山伸一郎(37)1軍登板なし
関本賢太郎(37)55試合/打率.262/0本/10打点
平野恵一(36) 29試合/打率.262/0本/5打点
木佐貫洋(35) 1試合/0勝0敗/防御率0.00
山﨑浩司(34) 40試合/打率.141/0本/2打点
森本稀哲(34) 12試合/打率.000/0本/0打点
朝倉健太(34) 4試合/0勝0敗/防御率14.54

 こうして並べてみると、通年で働いた選手はいない。特に投手陣は1軍で戦力になった選手はおらず、「限界」の二文字が頭をよぎるのも当然だろう。一覧してみると「限界までやる」という近年のトレンドが如実に現れた成績になっている。

 しかし、過去のプロ野球界では「まだまだやれる!」という成績でも突如引退を表明した名選手もいる。そんな引退年に好成績を残したレジェンドたちを紹介しよう。

王貞治(巨人/引退時40歳)

【1980年】129試合/打率.236/30本/84打点

 日本球界のレジェンド中のレジェンド・王貞治は引き際も伝説的だ。前年の1979年、打率.285/33本/81打点の好成績を残しながら、1962年以来17年連続で獲得し続けていた打撃タイトルを逃した王。不惑を迎える1980年も30本塁打をかっ飛ばしたが、打率が低迷し、「王貞治のバッティングができなくなった」とスッパリ引退を決意した。

 現在ならば、絶対に現役続行の好成績。それでも自分のバッティングに納得できなければ辞める潔さ。男の中の男たる引き際だ。

 ちなみに、当時「陰毛に白髪が混ざってきたので、潮時と思った」と自身の引退理由を語っていたという都市伝説も残っている。

土井正三(巨人/引退時36歳)

【1978年】110試合/打率.285/4本/28打点

 巨人V9時代において、「2番セカンド」で活躍した土井。引退年もチームの主力として活躍し、リーグ最多の27犠打をマーク。自身初となるダイヤモンドグラブ賞(現在でいうゴールデングラブ賞)を獲得するなど熟練の動きを見せていたが、長嶋茂雄監督の若返りの方針に共感し、現役引退を決意。守備走塁コーチに就任し、1980年代の巨人を支える若手を育成した。

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