【訃報】「火垂るの墓」作者・野坂昭如さん死去。破天荒すぎる“野坂伝説”まとめ (1/3ページ)

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【訃報】「火垂るの墓」作者・野坂昭如さん死去。破天荒すぎる“野坂伝説”まとめ

戦争の悲劇を描いた「火垂(ほた)るの墓」で知られる直木賞作家・野坂昭如さんが2015年12月9日に都内の病院で亡くなりました。 映画史に残る名作「火垂るの墓」の原作や、誰もが知っている童謡「おもちゃのチャチャチャ」の作詞も担当している野坂さんは、この世に多くの作品を遺し、その自由な人柄は人々から愛され、惜しまれつつこの世を去りました。

破天荒すぎる“野坂伝説”

野坂さんはその破天荒すぎる性格のあまり、数々の伝説を残しています。
今回は、そんな“野坂伝説”をまとめてみました。

1.大島渚殴打事件

事件が起こったのは、東京プリンスホテルで開かれた大島渚・小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティー。野坂さんが壇上で祝辞を述べたあとに、なんと大島渚さんに突然右フックを食らわせたのです。
大島さんも負けじとマイクで野坂さんの顔面を2発殴るも、会場の雰囲気は険悪ムードに…。

ことの発端は、祝辞を読んでもらおうと招待した野坂さんのあいさつを、大島さんが忘れてしまったことから始まりました。
関係者によると、野坂さんが帰ったと思い順序を飛ばしたと話していますが、野坂さんは夫妻の名を織り込んだ和歌を持って自分の名前が呼ばれるのをずっと待っていたのです。
元々、文壇界きっての酒好き&酒乱で知られている野坂さんのイライラは募っていき、ついにこの騒動が起こったのです。

なお、二人はテレビ朝日「朝まで生テレビ」で共演するなど親しい付き合いがあり、仲が悪いわけではありませんでした。後に大島さんが野坂さんに手紙を書き、お互いに謝罪して和解しました。

2.『四畳半襖の下張』事件

「わいせつ」の概念が問われた『四畳半襖の下張』事件。

月刊誌『面白半分』の編集長をしていた野坂昭如さんは、永井荷風の作とされる戯作『四畳半襖の下張』を同誌1972年7月号に掲載しました。

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