成功者は有吉だけ? かつて大人気だった「電波少年芸人」たちの現在

日刊大衆

成功者は有吉だけ? かつて大人気だった「電波少年芸人」たちの現在

『電波少年』シリーズといえば、日本テレビ系で1992年7月から2003年2月まで、『進め!電波少年』『進ぬ!電波少年』『電波少年に毛が生えた』と続いて放送されたバラエティー番組。無名の若手芸人たちがアポなしロケやヒッチハイクの旅など、体当たり企画に挑戦させられるのが人気だった。なかでもヒッチハイクの旅のゴールを迎える回は特番が組まれるほどで、有名ミュージシャンが提供した応援ソングもヒットした。しかし、企画で注目されたものの、若手芸人たちに面白い芸があるわけではなかったので、世間から飽きられるのも早く、毒舌キャラで再ブレイクした猿岩石の有吉弘行(41)以外は、テレビから消えてしまった芸人がほとんどだ。そこで、『電波少年』でブレイクした芸人たちの現在を調べてみると……。

●猿岩石・森脇和成(41)『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』(1996年4月〜1996年10月)……人気絶頂期の頃にサパークラブに手を出したが、経営に関する知識がなかったため、数か月の間に数千万を損しただけで大失敗。有吉とコンビ解散後、13種もの職業を転々としていたが、今年11月11日放送のトーク番組で「妻の妊娠判明を機に子どもを育てるなら堅い仕事をしないといけないとサラリーマン転身を決断した」「(現在は)芸能界を辞め、輸入卸の会社で働いていた」と語っている。ただサラリーマン生活はツラかったらしく、社長から「芸能界もう1回やってみたら? おまえはサラリーマンやってても顔が死んでいるぞ」「もしだめだったら戻ってこいよ」と芸能界復帰を勧められ、今年、芸能界復帰を果たした。

●ドロンズ・大島直也(44)『南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク』(1996年10月〜1997年大晦日)……ゴール後は再び相方の石本武士(42、現在はドロンズ石本)と、ロバを連れて旅をしていたが、俳優になるのが兼ねてからの夢だったためコンビ解散。映画やVシネマなどに出演したり、劇団を立ち上げようとしたが、役者としては鳴かず飛ばず。飲食店を開業することを決意すると、大阪で味わった鉄板焼きをアレンジして、東京の恵比寿に「ちりとり鍋 大島」を開店させた。一時は月に1000万円以上の売り上げがあったが、昨年の離婚を機に店を夫婦共通の知人に譲渡してしまった。相方の石本は大島がいつでも戻ってこれるようにとドロンズの名前を守り続けているが、2人の交流はあるものの、コンビ芸人として復活する可能性は低いらしい。

●チューヤン(43・謝昭仁)『アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク』(1998年)……俳優を目指していた伊藤高史(38)とヒッチハイクの旅に出る前は香港でDJをやっていたが、ゴール後は『進ぬ!電波少年』の司会者となり、番組の企画にも参加していた。2005年2月に「父親の体調が良くないので、そばにいてあげたいと思った」ため、日本の芸能界を引退。昨年1月放送のバラエティ番組にVTR出演したとき、香港で広告会社のクリエイティブディレクターとして活躍していて、「現在の年収が60万香港ドル(約950万円)」だと語った。

 また、有吉のような超売れっ子ではないが、地道に芸能活動を続けている芸人たちもいる。

●なすび(40)『電波少年的懸賞生活』(1998年1月〜1999年4月)……衣服を全て没収され「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに100万円分当選を目指していたが、目標額を達成したあとは舞台俳優として活動していて、劇団『なす我儘(がまま)』を主宰したり、日本芸術専門学校の特別講師を務めている。また、2013年に東日本大震災で被災した故郷・福島県の復活と再生を祈願してエベレスト登山に挑戦したが、山頂から100メートル下で無念の撤退。2014年に再挑戦したが、大規模な雪崩発生により登頂を断念。2015年に再び募金で数百万円集め、3度目のエベレストに挑んだが、4月25日に発生した大地震と、氷河崩落事故の影響で断念した。

●真中瞳(36)『電波少年的ハルマゲドン2』(1999年)……1999年7の月のハルマゲドンがくるという予言に備え、生まれて初めて出逢った男と女が、ノアの方舟を埋める穴を掘りながら一緒に暮らす企画に出演していたが、相手男性との愛は芽生えずに終了。2000年にニュース番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の金曜日のスポーツキャスターを担当し、ドラマ『編集王』(フジテレビ系)で女優デビュー。その後、ドラマ、映画、舞台などで活動している。2009年に芸名を東風万智子(こちまちこ)に変更した。

●Rまにあ・しゅく(39・宿輪竜一)『電波少年的無人島脱出』『電波少年的スワンの旅』(1998年4月〜1999年10月)……2006年にコンビ解散して、相方の中島ゆたか(38)は芸能界を引退。しゅくは関根勤から「しゅく造め」と命名されてピン芸人として活動。2013年4月10日に再び関根勤のアドバイスで「しゅくはじめ」に芸名を変更した。大のプロレス好きで、DDTプロレスリングのキャンプ場プロレスでリングアナウンサーを務めたり、無人島生活の経験を生かし、日本キャンプ協会認定の「キャンプインストラクター」などの資格を持ち、子供たちにキャンプ・アウトドアライフを教授する活動もしている。

●ダブルブッキング・川元文太(40)『電波少年的箱男』(2000年)……鉄製の箱に入り、鹿児島の佐多岬から東京までの約1500キロメートルを箱を押してもらうという、人の善意に頼った企画だったが、交際中の女性の登場により、目標とは違った趣旨のゴールになってしまった。その後も相方の黒田俊幸(40)とお笑いコンビを続けているが、妻は「早く芸人を辞めてほしい」と思っているそうだ。

●ケイコ先生(年齢不明)『電波少年的東大一直線』(2000年)……アルカリ三世(当時)の坂本ちゃん(年齢不明)を東大に合格させるため、家庭教師として登場したが、企画終了後は、本名の唐木恵子の名でドラマ、CM、司会、バラエティ番組などに出演。元々舞台での役者志望であり、タレント活動は本意ではなく思い悩んでいたとき浪曲と出会い、浪曲師を目指して二代目春野百合子(88)に弟子入り。東京の芸能界を引退した。2006年3月以降、春野恵子の芸名で浪曲師として活躍している。

『電波少年』シリーズのあとも、派生番組として『雷波少年』(1998年4月〜2002年3月)と続き、売れないバンドSomething ELseとBluem of Youthがヒットを目指す各企画や、運動音痴なタレント、羽田実加(37)が鉄棒で大車輪を目指す『雷波少年系鉄棒少女』などが人気だった。Something ELseとBluem of Youthは解散して、それぞれがソロやプロデュースで活動。羽田は結婚して一児の母になっている。

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