阿部寛は元パチプロ!? 芸能界で最強の博才を持つ意外なあの人!? (2/3ページ)

日刊大衆



 俳優業界で坂上とならぶギャンブル狂と言えば、『相棒』の米沢守役などでおなじみの六角精児も筋金入りとして知られている。今でこそ個性派俳優としての地位を確立している六角だが、まともに仕事をするようになったのは40歳を過ぎてからこと。学習院大学に入学するもパチンコにのめりこみすぎロクに授業も出ずに中退。パチンコやパチスロ、競馬に競艇とあらゆるギャンブルに明け暮れる生活を送っていた。特に競馬は全国の競馬場を旅打ちしてまわるほどの入れこみ様だったが、当然資金はまわらずに消費者金融から金を借りつづけてふくらんだ借金は1千万円。一時はすべてのテナントが消費者金融という「サラ金ビル」で1階から5階まで借りてまわったこともあったという。

 それでも六角のギャンブル依存が治ることはなかった。「ギャンブルの借金はギャンブルで返す」という発想そのものがすでに賭博常習者の悪癖だが、毎朝10時にパチンコ屋に並び閉店まで打ち続ける生活を2年間送ったという六角は、当時の心情をエッセー集『少し金を貸してくれないか』でこう綴っている。

「漂うような焦燥感と、沈んでいくような快感があった」

 これこそ(ドストエフスキーの『賭博者』でも描かれた)ギャンブル依存症の赤裸々で切実な内面告白だろう。人間の業の深さを味わったギャンブラー時代があったからこそ、六角の演技には一見軽妙に見えてもどこか底しれない深みがあるのかもしれない。

 六角とおなじように陽の目を見る前の下積み時代、ギャンブルで生活をしのいでいたという俳優は実は少なくない。ただそれがこのビッグネームであることには軽い衝撃を覚えるかもしれない。

 阿部寛。今や人気実力ともにトップ俳優となったイケメン俳優はかつて、パチンコで生計を立てるパチプロだった。阿部は大学在学中に『メンズ・ノンノ』でモデルデビュー、パリコレに進出するなど順風満帆なキャリアを歩んできたかに思える。だが20代の頃、知人の紹介でマンション投資に手を出し、バブル崩壊とともに数億円の借金を背負ってしまう。さらにモデルから俳優に転身するも、高すぎる身長と二枚目すぎるルックスが演技の世界では逆にアダとなり仕事は激減。借金返済どころか生活さえも困窮していた阿部を支えていたのがパチンコだったのだ。
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