”大塚家具騒動”で考える老いと引き際の社会学|やまもといちろうコラム (1/2ページ)

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老いと引き際を考える(※写真はイメージです)
老いと引き際を考える(※写真はイメージです)

 山本一郎(やまもといちろう)です。大学でパーソンズの構造機能分析みたいなものを学んだ以降は、これといって社会学と無縁な生活を送っていますが私は元気です。

 ところで、先日大塚家具の話を個人のブログで書いたのですが、非常にこれが読まれまして、またいろいろとご反響を戴きました。なにぶん、私も事業家を営んでいた父が老齢に差し掛かり、いろんな話が出てきてしまっている昨今ですので、お家騒動とも言える経営者の老父と現役娘の確執を見ると、「うわあ」という衝撃と、「ですよねー」という共感と、「あらまあ」という困惑と、「いいなあ」という憧憬などが混ざるという、非常に不思議な心境に陥るわけであります。

大塚家具の思い出

 人間、誰しも両親の不幸はいずれ体験するわけでして、親父お袋がいつまでも健康でいてくれたらと思う反面、そのときはやってきます。また、すでに経験された方であっても、思い出したくない記憶とともに、新たな不幸に見舞われる人にどう声をかけたらよいのか分からない、またご家庭によって状況が千差万別すぎて意見のしようもない、ということがあるようです。

 拙宅山本家の場合、家内の父が重病で倒れ、諸事あって検査後緊急手術し、家族総出で看病したり、術後の経過を見守りながら、病状の快復をサポートして二年以上が経過しました。幸いにしてその後は健康を取り戻し、元気に歩き回り暮らしています。

 こういうとき、健康を管理してくれる家族というのは実に大切な存在だなと思う一方、人が一人倒れるということで発生する心理的、労力的な苦労というのは抜き差しがたいものがあります。義父の場合は発見が早く対処が速やかであったのでどうにかなりましたが、その入院の際にご一緒した方々は、いまでも一部お付き合いはありますけれども、皆さん残念なことになってしまいました。

 で、このところ取引先で物故が続いていて、まあ私もそう言う年齢に差し掛かっているのだなあとは思うわけですけど、うら若き娘さんが事業を継承されたり、跡継ぎ難とともに親族の方が廃業を決断されるという事例を多く見るようになりました。もちろん、かねて元気でいらしたころは、私も独身だった時分は夜の銀座や六本木でのはしご酒に付き合い、うちの馬鹿娘がね、といった愚痴のような自慢を聞かされることもあったわけですけれども、やはり健康を害される前に、何らか事業継承なり番頭の整理なりをしておかないと、事業はもちろん従業員や取引先に面倒をかけることというのはあり得るわけです。

 事業をやっている高齢者もそうですが、そこで働く高齢者も大変と言えば大変です。

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