さんまが“明石家”となった理由とは?「お笑いBIG3」が尊敬する男たち (3/3ページ)

日刊大衆

“胸騒ぎの腰つき”“思い出はいつの日も雨”“四六時中も好きと言って”など、彼の歌詞のセンスをベタ褒めです」(テレビ誌記者)

 桑田は、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)でさんまが演じたアミダばばあのテーマ曲『アミダばばあの歌』(1983年)の作者でもあるが、その後も、「86~87年の12月24日、桑田さんが中心となり、当時のトップアーティストを集めて放送した特番が『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ系)。豪華なメンバーを集め過ぎて、大赤字になったと伝説の番組ですが、その司会を務めたのが、さんまさん。見る人をとことん楽しませようという、桑田さんのエンターテイナーとしての高い意識に、同世代のさんまさんは、刺激を受けたのではないでしょうか」(お笑い評論家のラリー遠田氏)

 また、さんまが、「アリの試合が衛星中継で生であった場合、僕、学校休んでたんですよ」と、懐かしい目で敬意を語った“アリ”とは、元プロボクサーのモハメド・アリのこと。「アリの“わざと打たせたボディは効かないんだ”という言葉に、感銘を受けているようです。一時、番組が立て続けに終了し、“さんまはもう終わり”ともいわれましたが、それでも後退をせず、結果を出してきた。その裏に、アリの言葉があったのかもしれません」(ラリー氏)

 なるほどと感心するが、「んなこたぁ~ない」と否定しそうなヒネクレ者、最後はタモリの登場だ。福岡で喫茶店のマスターを務めていたタモリを東京に呼び、自分の家に住まわせ、車も与え、芸を磨かせたのは、誰あろう漫画家の赤塚不二夫氏(故人)。「“バカなことは本気でやらないとダメ”と一緒になってバカをやり、遊びのときには、“ふざけるな! 真面目にやれよ”とタモリを叱ったという赤塚さんのマインドは、そのままタモリに受け継がれています。赤塚さんの葬儀で白紙の弔辞を読む一世一代のギャグを演じ、“私もあなたの数多くの作品の一つです”と締めたことが、2人の関係のすべてを物語っています」(ベテランの芸能記者)

 そんな曲者のタモリが、「いいと思う歌詞は小沢君だけ」とベタ褒めするミュージシャンが、小沢健二だ。「『笑っていいとも!』が終わる直前、タモリはテレフォンショッキングのゲストに、小沢を呼びました。彼のテレビ出演は実に16年ぶりで、特に感銘を受けた『さよならなんて云えないよ』を歌ってもらい、実にうれしそうでした。タモリは同曲が発売された95年、この曲を“生命の最大の肯定”と称えています。当時、“渋谷系の王子様”と呼ばれたオザケンを、先入観なく正しく評価した彼の柔軟さ、感性の鋭さに改めて驚きます」(前同) BIG3がBIGと認めたのは、やはり魅力にあふれた最高の男たちだった。

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