【プロ野球】何度も這い上がる!ヤクルト由規”復活伝説”高校編 (1/2ページ)

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挫折やケガから何度も這い上がってきた男
挫折やケガから何度も這い上がってきた男

 あいつが、やっと戻ってくる。今季から育成選手になり、背番号「121」で再出発したヤクルト・由規。イースタンでの好投が決め手となり、支配下登録に昇格することが決定的。早ければ7月8日からの中日3連戦(神宮)で1軍に復帰し、先発登板する見込みだという。

 高校時代には、いまだ破られていない甲子園での最速記録155キロをマーク。プロに入ってからも2010年に当時の日本人最速161キロを計測するなど、常に強烈な印象を残してきた快速右腕。2013年の右肩手術を経て、1軍で再び、その勇姿を見ることができる日が近づいたわけだ。

 手術から復活を果たす選手は年々増えているとはいえ、肩の手術から完全復活を果たした事例は非常に少ない。それでも、由規にはつい期待したくなる自分がいる。これまでにも何度となく窮地に立ちながら、それらを克服してすばらしい投球を見せてくれた過去があるからだ。

 本稿ではそんな「復活の由規」伝説を、高校時代のエピソードから振り返ってみたい。

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■「投手はムリだ」と感じた入学前

 中学1年時にはリトルリーグ日本代表として世界大会準優勝。自身もノーヒットノーランを達成するなど、将来を大きく期待された投手だった由規。高校は地元の強豪校、仙台育英に進学した。

 ところが、入学前のはじめての合同練習で早速、挫折を経験する。あまりのレベルの高さに、ひとりだけ練習についていけなかったからだ。

 これではとても投手はムリ。野手になろう……。そう決意した1年生の由規。実際、1年夏の大会ではサードの控えとしてベンチ入りした。

 そんな由規に転機が訪れたのが1年の秋。控え投手として練習を始めた矢先、東北高との試合前にエースがケガをしてしまい、急遽、由規が先発登板することになったのだ。そして、この試合で由規は140キロ台のストレートを連発。完封勝利をおさめ、以降、投手一本で高校生活を過ごすことになった。

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