【プロ野球】若松、池山、岩村、青木…ヤクルト「背番号1」の系譜 (1/2ページ)
7月に入りさらなる盛り上がりをみせるプロ野球。なかでもヤクルト・山田哲人は打撃三部門で圧倒的な成績を残し、2004年の松中信彦(ソフトバンク)以来となる三冠王獲得に向けひた走っている。
一昨年の山田は193安打でセ・リーグ最多安打。昨年はトリプルスリー。日本プロ野球界を代表する右バッターだ。
今季、山田は背番号を23から1に変更した。ヤクルトの背番号1といえば、チームの顔というべきバッターが背負ってきた由緒ある番号だ。山田の活躍で再びクローズアップされる、背番号1を背負ってきた歴代の選手を振り返りたい。
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■日本人最高通算打率の小さな大打者・若松勉
「ヤクルトの背番号1=チームの顔」と多くのファンに認識させたのが「小さな大打者」こと若松勉だ。
プロ1年目の1971年から打率.303と結果を残すと、翌年から背番号が57から1へ。背番号1をつけた若松はバッティングが冴え渡り、打率.329で首位打者を獲得。ヤクルトの中心打者として活躍し、1977年には2度目の首位打者となる。
1978年は3番打者としてヤクルト初の日本一に大きく貢献。リーグMVPを獲得した。その後も、打率3割台を何度もマークし、1985年には2000安打を達成。1989年に42歳で引退したが、通算打率.319は日本人選手歴代1位の数字となっている。
1999年にはヤクルトの監督に就任。2001年のリーグ優勝インタビューでは「ファンの皆さん、おめでとうございます」という名言(?)で、大いに話題を呼んだ。
■14年ぶりのリーグ優勝に貢献した池山隆寛
若松の後、空き番号となっていた背番号1を受け継いだのが「ブンブン丸」こと池山隆寛だ。
背番号36の頃から三振を恐れない豪快なフルスイングでファンを魅了。1988年から5年連続で30本以上の本塁打を放ち、強肩強打のショートとして活躍。背番号1となった1992年には広沢克己、古田敦也らと打線を引っ張り、14年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。
同年の日本シリーズでは、第5戦での延長10回の決勝弾、1995年の第3戦でサヨナラ3ランと記憶に残る一発を放っている。
その後は、宮本慎也の台頭によりサードにコンバート。2001年にはサードのレギュラーを獲得した岩村明憲に背番号1を譲り、以前身の背番号36に戻した。