【高校野球】8・15甲子園の黙祷と鎮魂の碑~普通に野球ができる幸福 (1/2ページ)

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】8月15日と「甲子園の黙祷」と「鎮魂の碑」
】8月15日と「甲子園の黙祷」と「鎮魂の碑」

 今年も8月15日がやってきた。

 終戦記念日であるこの日、甲子園大会でも正午になると試合を一時中断。サイレンの音が真夏の甲子園球場に響き渡り、選手や監督、そしてスタンドの大観衆も立ち上がって戦没者への黙祷をささげることが恒例となっている。

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■8月15日と甲子園の浅からぬ関係性

 野球ファンのなかには、この「甲子園の黙祷」によって8月15日であることを思い出す人も多いだろう。

 この黙祷が恒例となったのは1963(昭和38)年の甲子園大会から。だが、振り返るとそれ以前から、8月15日と甲子園には浅からぬ関係性があった。

 終戦からちょうど1年後、1946年8月15日こそ、戦争激化によって1941年以降中止されてきた夏の全国大会が復活した日、であるからだ。もっとも、甲子園球場は当時GHQが接収していたため、西宮球場での復活開催だった。

 野球が日常に戻って来た、といっても、当時はまだ日本中が物資不足のとき。どのチームもボールもない、バットもない、さらには食料もない、というないもの尽くし。ボールは破れても縫い合わせて使い、バットは折れた箇所にテープを巻いて再利用。ユニフォームは戦前のモノを真似て選手が自作するなど、各チームが苦労の上に工夫を重ねて対処し、なんとか野球がプレーできる状態だった。

 また、全国から選ばれた代表19校は、米などの食料を持参して大会入り。勝ったチームは滞在期間が長くなって食料が底をつくことを心配するなど、現在では考えられない状況で大会は行われた。

 戦後71年。後世を生きる我々は、こうした先人の苦労があって今、普通に野球ができることを忘れてはならないだろう。

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