【プロ野球】かつてはラッキーゾーンがあった? 今年で開場90周年。神宮球場トリビア (1/2ページ)

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今年で開場90周年。神宮球場トリビア
今年で開場90周年。神宮球場トリビア

 先週から東都大学野球、東京六大学野球も開催されている神宮球場は、この秋、開場90周年の節目を迎える。プロ野球も開催される日本の本格野球場としては、1924年開場の甲子園球場に次ぐ歴史だ。このメモリヤルイヤーにちなみ、神宮球場の歴史から9つのトリビアを紹介したい。

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■《1》建設費は約53万円!

 神宮球場の竣工は1926(大正15)年10月22日。総工費は53万円。今の時代に当てはめると、約10億円超、といわれる。

 昨今話題の新国立競技場が約1500億円。12球団の本拠地でもっとも新しいMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(2009年開場)の建設費が約90億円。これらから換算すると、相当お得だった、ともいえるのではないだろうか。

 その理由のひとつは工期だろう。工事に着手したのは前年の12月。約10カ月で建設してしまったのだ。

■《2》神宮球場最初のスターは二刀流

 神宮球場で初めてホームランが生まれたのは開場翌年の1927年。4月20日、日米親善試合で来日したフィラデルフィア・ロイヤル・ジャイアンツの3番打者、ビズ・マッキーがセンター右の芝生席に放り込んだ。

 すると9日後の4月29日、東京六大学野球春季リーグの開幕戦、慶應義塾大対帝国大(現・東京大)1回戦で、慶大の宮武三郎が左中間スタンドにホームラン。これが、神宮球場で日本人初の本塁打だった。

 宮武はこのとき1年生。実はこの試合、先発投手も務めており、完封勝利。1年生の開幕戦勝利投手は2007年に斎藤佑樹(早稲田大)が記録するまで現れなかった。

 宮武は投手として大学通算38勝6敗。打者としては首位打者に輝いたこともあり、通算7本塁打。1957年に長嶋茂雄(立教大)が8本塁打で破るまで、東京六大学野球の最多本塁打記録だった。

■《3》かつてはラッキーゾーンがあった

 外野フェンス手前に設置される「ラッキーゾーン」といえば、甲子園球場にあった、と知るのも30代以上の野球ファンだろう。だが、50代以上の人にしてみれば、「いやいや、神宮にも昔あったよ」という話になる。

 1962(昭和37)年に折りたたみ式のラッキーゾーンを設置。ただし、使用するのはプロ野球開催時のみ。高さ2メートル、幅4メートルの鉄骨製ネットをボルトでつなぎ合わせ、容易に取り外しができるようになっていた。

 その後、1965年にラッキーゾーンの金網フェンスを固定。しかし、2年後の1967年にはグラウンドの縮小改築工事にあわせ、ラッキーゾーンは廃止されている。

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