【プロ野球】10月3日に考える、シーズン終盤の醜い敬遠合戦事件簿 ~怒りの逆さバットに10連続四球~ (1/2ページ)

デイリーニュースオンライン

シーズン終盤の醜い敬遠合戦事件簿
シーズン終盤の醜い敬遠合戦事件簿

 今週、残り数試合で、今年のペナントレースも終わりを告げる。ポストシーズンの戦いが残っているとはいえ、選手の年俸にも直結する「個人成績」「タイトル争い」に関しては、これで一区切りとなる。

 この時期、物議を醸すことが多いことといえば個人タイトルを巡る醜い「敬遠合戦」がある。とくに今日、10月3日は、球史に悪い意味で名を残す敬遠合戦がふたつも起こった日なのだ。今年はたとえ起きないにせよ、今後も繰り返されないことを祈念すべく、「10月3日の敬遠事件」について振り返りたい。

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■【1965年10月3日】野村とスペンサー「怒りの逆さバット事件」

 南海の野村克也と、阪急のダリル・スペンサー。ふたりの強打者がこの年、本塁打王のタイトルを巡って熾烈な戦いを繰り広げた。

 かたや、前年まで4年連続でパ・リーグの本塁打王を獲得し、この年は三冠王も狙っていた野村。かたや、外国人史上初のサイクルヒットを放つなど、総合力に優れたスペンサー。ペナントレースも大詰めの10月3日、スペンサーが野村を猛追する状況で、南海対阪急のダブルヘッダーを迎えた。

 阪急はスペンサーにタイトルを獲らせようと1番で起用したが、いきなり2敬遠。それもそのはず、南海のキャッチャーは追われる立場の野村自身。7回裏のスペンサーの打席、その初球も勝負する気のないボール球だった。

 これに腹を立てたスペンサーが起こした行動こそ、バットを逆さに持って打席に立つ、という抗議行動だった。もっとも、南海バッテリーはそれでも勝負せず、ボール球のみ。最後は外角高めのボール球にスペンサーがバットを投げつけ、内野ゴロに終わった。

 この日の2試合目で意地のホームランを放ち、38本塁打まで記録を伸ばしたスペンサーだったが、それがこのシーズンの最後のホームランとなった。というのも、この逆さバット事件の2日後に交通事故にあい、右足を骨折してしまったからだ。

 結局、本塁打王のタイトルは42本で野村が獲得し、戦後初の三冠王も達成。一方、スペンサーが獲得できたのは、79四球という「四球王」の称号だけ。とにかく勝負をしてもらえなかった。

 だからこそ、スペンサーはある日の試合でこんなコメントを残したという。

「なぜ日本の投手は勝負してこない。優勝がかかっている場面でも何でもないんだぞ。そんなにガイジンが嫌いか! そんなにガイジンのオレがノムラよりホームランを多く打つのが気にくわないのか!」

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