【プロ野球】福原忍(阪神)が引退。~常に「感謝」の気持ちを忘れなかった18年~ (1/2ページ)

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福原忍(阪神)が引退
福原忍(阪神)が引退

 最後の3球はすべてストレートだった。 

 2016年10月1日、甲子園球場。

 阪神タイガース・福原忍のプロ18年間の締めくくりとなるマウンドには、広陵高の先輩でもある、金本知憲監督が待ち受けていた。

「思い切って投げろ!」

 金本監督から手渡されたボールで全力を込めたストレートは、甲子園球場の電光掲示板に143キロと表示された。全盛期には150キロ台を誇ったストレートは影を潜めていたが、真剣勝負で望んだ立岡宗一郎(巨人)を気持ちで左飛に打ち取った。

“豪球で打者をねじ伏せる!”

“常に表舞台のヒーロー!”

 福原の野球人生は、そんな華々しいものでは決してなかった。

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■転機となった2つの大きな手術

 福原の野球人生を狂わせたのは、2つの大きな手術だった。

 広陵高2年秋、県大会を制し中国大会へ進むも、右ヒジは悲鳴をあげていた。少年野球のころからのチームメートで、後に巨人の主軸となる二岡智宏も、不運にもろっ骨を痛めていた。中国大会準決勝で敗れた福原の右ヒジは、後に剥離骨折だとわかる。

 3年夏の広島大会でも広陵高は優勝候補筆頭だったが、広島工高に敗退。手術の影響で本調子ではない福原は、甲子園のマウンドに立てなかった。

 甲子園への夢を絶たれた高校時代だったが、常に「感謝」の気持ちを持ちなさいという、中井哲之監督の教えは福原を人としても野球人としても大きく成長させた。

 2回目の手術は、阪神入団4年目のオフ。右肩関節唇損傷修復の手術だった。

 入団1年目、福原はリリーフとして54試合に登板し、10勝7敗9セーブ。150キロ台のストレートで勝負した1年だった。

 周りから「豪腕」のイメージで見られていたこともあり、思い切りよく投げ込むストレートが、今度は福原の右肩をむしばんでいった。内視鏡で見ると、右肩の内部は“ぐしゃぐしゃ”だったという。

 手術を終え、奇跡的に復活したのは2003年8月31日。実に380日ぶりの1軍のマウンドだった。

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