病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第3回・渡瀬恒彦」(3)アクションに代役は不要だ (1/2ページ)

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病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第3回・渡瀬恒彦」(3)アクションに代役は不要だ

 70年代の東映にとって、渡瀬がいかに貴重な役者であったか──。佐藤純彌監督は、まず「絶対にスタントマンを使わない」という姿勢を評価する。

「兄の渡哲也という存在があって、自分は違う道を進むというのが明確にあった。常に体ごとぶつかっていくし、大部屋の役者たちを大事にしたのも彼ならでは」

 佐藤の監督作では「実録私設銀座警察」(73年)が強烈な印象を残す。渡瀬は復員兵の渡会役だが、やがてシャブ中毒になり、ゾンビのような形相で殺人マシーンと化す。

「あの役作りはすべて彼のアイデア。すごい迫力で、1カットですべて撮り終えたよ」

 渡瀬が数々の映画賞を獲るようになってから組んだ「敦煌」(88年、東宝)でも、偉ぶらずに一歩下がったふるまいであることがうれしかった。

 渡瀬の体を張る演技が高く評価されたのは、主演作「狂った野獣」(76年)である。バスジャックを題材にしたカーアクション物であるが、渡瀬はこの撮影のために、わずか1週間という信じられない早さで大型免許を取得。

 さらに渡瀬は、吹き替えなしで「走るバイクの後部座席に立ち、並走するバスに窓から突入」という難易度の高いアクションも披露した。

 だが、こうした姿勢は死と隣り合わせになるのもまた必然である。脚本家・高田宏治は「北陸代理戦争」(77年)という“いわくつきの1本”を語る。深作欣二監督にとって最後の実録作品となったが、それは渡瀬が転倒したジープの下敷きになり、生死の淵をさまよう大ケガをしたことと無縁ではない。

「この映画はもう終わりかと思ったよ。ヘタしたら渡瀬は死んでいたかもしれない。結局は伊吹吾郎を代役にあて、それまで撮っていた渡瀬の部分が使えないことから、脚本も大きく手直ししたんだ」

 高田だけでなく、深作も責任を感じ、渡瀬の病室を見舞った。麻酔が効いて眠りにつき、目が覚めるたびに深作が枕もとにいた。

「こうなっちゃったから、しかたないよ」

 むしろ、深作を何度も慰めたと筆者は渡瀬から聞いた。

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