これぞ5000年前の縄文人パワー!火焔式土器、その圧倒的造形美に誰もが言葉をなくす (1/4ページ)

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これぞ5000年前の縄文人パワー!火焔式土器、その圧倒的造形美に誰もが言葉をなくす

日本一の大河といえば総延長367kmの信濃川。この流域は今も昔も多種多様な動植物の宝庫です。

諸説ありますが13000年以上昔、この地を含む東日本一帯で暮らしていた縄文人によって、世界で最も早い時期に縄文土器が作られました。そして縄文土器は北海道から沖縄まで、日本全土に広がっていきました。

それから約5000年後、今から約8000年昔に日本列島に大きな環境の変化が起きました。日本海に対馬暖流が流れ込み、日本海側に雪が多く降るようになったのです。

世界でも有数の豪雪地帯になった信濃川流域は、四季折々の厳しくも美しい自然を育み、縄文人の感性を豊かにしました。そして今から約5000年前、この地で『火焔式土器』が製作されました。

火焔式土器は中部地方の日本海側だけに発達した縄文式土器です。信濃川流域を中心に北は山形県境、西は富山県境、東から南は群馬県・福島県・長野県に囲まれた地域で出土しています。存在した時期は約300年程です。

火焔式土器が初めて全体の形がわかるような姿で出土したのは、今から約80年前の昭和11年(1936年)、縄文中期の大規模集落が見つかった新潟県長岡市の馬高遺跡でのことでした。

「芸術は爆発だ!」という名言や、大阪の『太陽の塔』でも有名な岡本太郎さんが、昭和26年(1951年)に初めて火焔式土器を見た時、「なんだ、コレは!」と叫んだというエピソードがあります。

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