【プロ野球】《惜別・野球人2016》いぶし銀、名スカウト、野武士……。今年もまた別れの季節が (1/3ページ)
今年も残すところあとわずか。広島と日本ハムのリーグ優勝で大いに盛り上がりを見せた今年の野球界だが、一方で、惜しまれつつこの世を後にした野球人も少なくない。1年を締めくくる上で、その功績とともに今一度偉人たちの足跡を振り返りたい。
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■2月5日:伝説のアマチュア野球記者・松尾俊治氏が死去
元毎日新聞記者で、アマチュア野球を中心に日本の野球界の足跡を後世に伝えてきた松尾俊治氏が肺炎で死去した。91歳だった。
学生時代は慶應義塾大学野球部で捕手として活躍。1943年の学徒出陣壮行試合、いわゆる「最後の早慶戦」を経験した。卒業後は毎日新聞社に入社し、運動部記者として主にアマチュア野球を担当。のちに映画化もされた『最後の早慶戦』を執筆(※共著)したほか、高校野球のトリビア本の走りともいえる『不滅の高校野球』『やぁ これは便利だ!甲子園』など、野球にまつわるベストセラーを数々執筆。
執筆活動以外でも、社会人野球を統括する日本野球連盟で参与を務めるなど、アマチュア野球の発展に尽力した。
■4月9日:元大洋の名スカウト・牛込惟浩氏が死去
大洋、横浜(現DeNA)で長く渉外担当などを務めた牛込惟浩氏が、敗血症のために死去。79歳だった。
早稲田大学卒業後、1964年に大洋球団に入社。シピン、ポンセ、ローズといった球団史に残る助っ人外国人の獲得に尽力。米球界関係者から「タッド」の愛称で親しまれた。2000年に退団すると、MLBアナリストとして解説業や執筆業にも挑戦した。