【プロ野球】岸孝之(楽天)を見ると思い出す。西武からパ・リーグ他球団に移籍して活躍したピッチャーたち (1/2ページ)

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西武からパ・リーグ他球団に移籍して活躍したピッチャーたち
西武からパ・リーグ他球団に移籍して活躍したピッチャーたち

 2月1日のキャンプイン以降、新聞やテレビ、またはインターネット中継などで各球団のキャンプ状況が連日報道されている。なかでも目を引くのは地元・宮城にホームを置く楽天にFA移籍した岸孝之。初日からブルペンに入り、存在感を大いに見せつけている。

 この岸の姿を見て思い出すのは、西武からパ・リーグの球団に移籍し、活躍したピッチャーがいたことだ。そんなピッチャーたちを振り返りたい。

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■優勝請負人・工藤公康

 1980年代から1990年代にかけての西武で、渡辺久信とともに左右の両輪で活躍したのが工藤公康。1986年、1987年と2年連続で日本シリーズのMVPを受賞するなど「左のエース」として君臨した。

 その工藤は1994年オフ、トレーニング施設の充実を球団に訴えるも意見が通らず、FA権を行使してダイエーへ移籍する。ちょうど前年には交換トレードで秋山幸二、同年には石毛宏典もFAでダイエーに移るなど、西武の先輩たちもチームにいた。

 王貞治監督の初年度でもあった1995年。工藤は12勝を挙げ、先発陣の柱として奮闘する。しかし、1996年には8勝15敗と負け越し、5年連続で続いていた2ケタ勝利がストップ。それでも178奪三振で初めて最多奪三振のタイトルを受賞した。

 この時期のダイエーは、小久保裕紀を筆頭に城島健司、松中信彦、井口忠仁(現・資仁)と、後に主力となる選手たちが次々と入団。チームは過渡期にあった。城島とバッテリーを組んだ工藤は、打たれるとわかっていながら城島のサインに従い、そして打たれた。

 マウンドを降りた工藤は城島に対して「なぜあの配球だったのか、なぜ打たれたのか」を懇々と説明していった。そうして城島を一人前のキャッチャーへと育てた工藤は、1999年に防御率2.38で最優秀防御率を獲得。同年のダイエーの日本一に大きく貢献し、パ・リーグMVPに輝いた。さらに翌2000年にはFAで巨人へ移籍。同年に巨人は日本一となり、工藤は「優勝請負人」と呼ばれた。

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