【プロ野球】1975年4月3日に生まれた二人。高橋由伸と上原浩治のライバル物語 (1/2ページ)

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高橋由伸と上原浩治のライバル物語
高橋由伸と上原浩治のライバル物語

 1975年4月3日。

 今から42年前の今日、二人の偉大な野球人がこの世に生を受けた。

 高橋由伸と上原浩治。

 同じ日に生まれ、1997年ドラフト1位で巨人に入団した由伸。1998年ドラフト1位で巨人に入団した上原。

 元チームメイトであり、同じ日に生まれた者同士、この二人はさまざまな縁でつながっている。そんな二人が交錯した日をあらためて振り返りたい。

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■最強キューバを破った試合の“エースと4番”

 高橋由伸と上原浩治、といえば、2000年代巨人のエースと主砲、というイメージが強い。だが、実はそれ以前にも同じユニフォームを着て、日本球界に大きな足跡を残している。

 まずは1997年6月に開催された第26回日米大学野球選手権大会。この大会直前に東京六大学野球史上タイの通算22本塁打を放っていた高橋由伸は、大学日本代表の主軸打者としてチームを牽引。

 一方の上原も第3戦の先発マウンドにのぼり、見事に勝利投手に。4勝1敗でアメリカ大学代表を倒す原動力となった。

 するとその2カ月後、二人はスペイン・バルセロナで行われた第13回IBAFインターコンチネンタルカップに、全日本の一員として出場する。WBCなどなかった時代、五輪以外ではもっとも権威ある大会が「インターコンチネンタルカップ」だった。そしてこの大会で、伝説として語り継がれているのがキューバとの決勝戦だ。

 当時のキューバは「世界最強」といわれ、インターコンチネンタルカップは7連覇中。8連覇を目指したこの大会でも無敗で決勝までコマを進め、連勝記録は151まで伸ばしていた。

 そんな「絶対王者」と決勝で対戦した日本。予選ラウンドでは大敗を喫した相手を攻略すべく、先発マウンドを任されたのが上原。そして、4番を務めたのが高橋由伸だった。

 果たして、4番・由伸は決勝点となる3点本塁打や2点三塁打を放つなど5打点を記録。投げては上原が5回1/3を投げ1失点。キューバを破り、日本が12大会ぶりの優勝を成し遂げた。

 上原はこの大会の最優秀投手賞を受賞。上原と高橋の二人は、キューバを破った男、として世界から注目を集めたのだ。

 代表チームでの共演としては、2004年のアテネ五輪にも日本代表メンバーとして出場した二人。上原は2試合に投げ1勝。高橋はチームトップタイの3本塁打を放ち、日本に銅メダルをもたらしている。

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