天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!? (1/2ページ)

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天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!?

テリー トシちゃんって、いきなりドーンと人気が出た印象だけど、ジャニーズ時代に苦労ってあったの?

田原 と思うじゃないですか。でも僕、高校の3年間、中央線に乗って(実家のある山梨県)甲府からレッスンのために毎週末、東京に通ってましたからね。

テリー 当時はまったく無名?

田原 ええ。今でこそジャニーズって勢いのあるイメージがあるかもしれないけど、僕らの頃はそうじゃなかったんですよ。音楽界はニューミュージックが席巻していて、ジャニーズはフォーリーブスが解散した直後だから、メチャメチャ低迷していた時期で。

テリー ああ、確かにあの頃、ジャニーズ文化がなくなっちゃうんじゃないか、なんて言われてたな。

田原 そう。練習生の僕らも、先がまったく見えなくて、ただひたすら歌とダンスとお芝居のレッスンをして、来るべき時に備えて準備をしておくしかなかったんですよ。

テリー つまり、いくらレッスンしてもデビューできるかどうかさえわからないわけだ。それって、とても不安だよね。

田原 だから、僕とマッチ(近藤真彦)、ヨッちゃん(野村義男)は、79年の「3年B組金八先生」というドラマに出会わなかったら、たぶんずっと世に出てないんじゃないですかね。そう考えると、全部運なんですよ。翌年、僕が「哀愁でいと」で歌手デビューして、(松田)聖子ちゃんも出てきたあたりからですよね、ちょっと時代が変わってくるのは。

テリー まさにアイドル黄金期の幕開けだ。トシちゃんは、あの時代の熱狂をどう感じていたの?

田原 もちろん、うれしかったですし、「これ、夢なんじゃないの?」って思えるくらいの状況でした。

テリー 何しろ、ものすごい人気だったからね。

「天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!?」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2017年 6/29号田原俊彦近藤真彦テリー伊藤ジャニーズエンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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