【プロ野球】ノーノーで勝ち上がった杉内俊哉を松坂大輔が返り討ち。オレたち、甲子園で戦ってました! (1/2ページ)

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ノーノーで勝ち上がった杉内俊哉を松坂大輔が返り討ち
ノーノーで勝ち上がった杉内俊哉を松坂大輔が返り討ち

 プロ野球選手は、甲子園を目指す高校球児だった。高校時代から宿命のライバルとしてしのぎを削ってきた選手もいる。

 夏の甲子園の開催に合わせて、「週刊野球太郎」では3回に渡って甲子園で繰り広げられた「あの選手」と「あの選手」の対決を紹介したい。

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■故障に苦しむ2人の元エース

 1998年夏の甲子園。横浜高が松坂大輔(現ソフトバンク)らを擁し、春夏連覇を達成した大会だ。決勝における松坂のノーヒットノーラン。準決勝・明徳義塾高戦で起こした奇跡の逆転。延長17回に及んだ準々決勝・PL学園高戦での死闘と、横浜高は甲子園史に残るドラマを生み出した。

 その大会で、松坂の前に2回戦で立ちはだかったのが鹿児島実高の杉内俊哉(現巨人)だった。杉内は1回戦の八戸工大一高戦で1987年の芝草宇宙(帝京高、元日本ハムほか)以来となるノーヒットノーランを達成。打倒・横浜高への期待は大きかった。

 試合は5回まで両投手が好投し0対0。その均衡が破られたのは6回だった。横浜高が後藤武敏(G.後藤武敏、現DeNA)の犠飛で先制。その後、8回には松坂の本塁打などで5点を追加し6対0で横浜高が快勝。一方、松坂は9回9奪三振の完封勝利。杉内を寄せつけなかった。

 あれから19年が経った。今シーズンも2人はリハビリに務めている。登板はまだない。あの夏のように、再びマウンドに立つ日が訪れることを期待したい。

■期待の1年生として甲子園デビューから7年

 2010年夏の甲子園。主役は同年のセンバツを制していた興南高だった。エースは「琉球トルネード」こと島袋洋奨(現ソフトバンク)。唯一の下級生として出場した遊撃の大城滉二(現オリックス)も主力として活躍した。その興南高と準決勝で対戦したのが報徳学園高だった。

 報徳学園高は1年生ながら快投を続ける田村伊知郎(現西武)を擁し勝ち上がってきた。田村は準々決勝で8回途中まで投げていたこともあり、興南高戦では中継ぎとして待機となった。

 試合は初回から報徳学園高の打線が島袋を攻め5対0とリード。しかし、センバツ王者の興南高は慌てず反撃。中盤から得点を奪い報徳学園高の先発・大西一成をノックアウト。7回途中からマウンドに登った田村は無失点に抑えたが、興南はこの回、6対5と逆転に成功した。終盤は両投手ともに0点に抑え、そのまま決着。島袋と大城が決勝へと駒を進めた。

 注目の1年生投手だった田村は卒業後、立教大へと進み、大城とチームメートに。そして昨秋のドラフトでプロ入りを果たした。

 プロ入り後の大城と田村の対戦は1打数0安打。対戦機会が少ないので白黒つけにくいが、現段階では田村に軍配が上がっている。島袋と田村の投げ合いは実現していない。島袋も田村もプロでは未勝利だが、白星を挙げるのはどちらが先か。

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