【プロ野球】二段モーション禁止で投手生命の危機を迎えた三浦大輔はいかにして克服したのか (1/2ページ)
菊池雄星(西武)への判定以降、侃侃諤諤の議論が交わされている「二段モーション」。ヤクルトの真中満監督も「セットでの投球もあいまい。ウチの小川も怪しいとか言われるしね。審判団で話し合って、キャンプ中に注意してくれないと」「NPBがあいまい。やるならば徹底的に取り入れるべき」と提言し、海の向こうではダルビッシュ有も「本当にどうでもいいことには力入れるよなぁ」とTwitterでつぶやいたことがニュースとなった。
だが、ずっと以前からこの「二段モーション」について異議を唱え、提言を続けてきた男がいる。昨年限りでユニフォームを脱いだ、ハマの番長こと三浦大輔氏(元DeNA)だ。かつて“二段モーションといえば三浦”といわれるほど、この投球スタイルが代名詞のような存在だっただけに、自著『逆境での闘い方』(2012年刊)で二段モーションへの思いをこう綴っている。
《自分にとって二段モーションは命そのものだった。これがあったからこそプロでそれなりの結果を出すことができたし、日本一という美酒も味わえたと思っている》
そんな「命」というべき二段モーションが禁止されたのは、2006年シーズンのことだった。
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■メジャーでも五輪でも禁止されていない二段モーションの不思議
日本球界では2006年から禁止された二段モーション。この2006年という数字を見て、野球ファンであればピンとくるものがあるはずだ。それは、第一回WBCが開催された年。当時の審判団の見解は「二段モーションは、いわば日本だけの特別なルール。WBCと2008年に控える北京五輪を見据え、これからは国際基準のルールに従わなければならない」というものだった。
だが、これに対して三浦氏はこう反論する。再び、自著『逆境での闘い方』から。
《そもそも、自分が二段モーションにした94年も日本で初めてのケースであったため、メジャーリーグの審判に確認したが問題ないといわれたし、その後、メジャーリーグで「二段モーション禁止」というルール変更があったことなど聞いたことがない》
実際、メジャーリーグでも活躍した大塚晶則氏も二段モーションだった、と綴る三浦氏。そしてこう続ける。
《そしてなにより自分は、04年のアテネオリンピックで国際大会を経験しているのだ。大会ではもちろん二段モーションで投げていたが、海外の審判は誰一人として自分のピッチングフォームを指摘しなかった》
一体、誰のためのルール改正だったのか、首を傾げたくなるばかりだ。