私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(1)パチンコ店の金を持ち逃げ (1/2ページ)

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私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(1)パチンコ店の金を持ち逃げ

 タイ、バンコクの隣、ノンタブリー県にあるバンクワン刑務所。ここは懲役30年以上の長期刑や終身刑、そして死刑判決を受けた囚人だけを収容する、いわば「凶悪犯専門」の施設だ。そこで14年間の服役生活を送った日本人がいる。いったい何をしでかし、なぜ出所することができたのか。その一部始終を本人が激白する。

 施設の一角に常設されたギャンブル場では、ヨレヨレになった紙幣を握りしめた囚人たちが賭博に興じている。だが、鼻薬をかがされている刑務官らは見て見ぬ振りだ。所内ではヘロインやアイス、ヤーバーといった覚醒剤が乱用され、ジャンキーによるモメ事もあとを絶たず、さらには麻薬密売グループ同士の抗争が繰り広げられる──。

 そんな最低最悪の刑務所に収監された日本人が、竹澤恒男氏(65)だ。竹澤氏は02年12月、当時タイで流行していた覚醒剤、ヤーバーの密輸に関与した疑いで、タイのドンムアン空港で身柄を拘束され、一審の求刑はなんと、死刑。結審では死刑こそ免れたものの終身刑を受け、移送されたのが、この地獄の刑務所だった。

 竹澤氏は神戸市灘区出身。高校を卒業後、地元の医療機器メーカーに就職したが、

「当時交際していた女性が亡くなったショックから競馬にのめりこむようになり、あとはサラ金地獄というお決まりコース。それが全ての始まりでしたね」 

 目先の金欲しさに金がありそうな事務所に忍び込むが逮捕され、執行猶予付き判決を受ける。25歳の時だ。

「会社を辞めてしばらく放浪したあと、東京のパチンコ店で働きました」

 だがパチンコ店の売上金を持って逃亡し、懲役10カ月の実刑判決。8カ月後に仮釈放されたが、今度はゴト行為に手を染め、懲役1年2カ月の判決で前橋刑務所へ。出所後はテキヤで生計を立てるも、

「長続きせずにまたゴト行為で逮捕されて、今度は北海道の月形刑務所です。この時は懲役1年6カ月で、結局、5年間で3回刑務所に入ることになった」

 89年、月形刑務所を満期出所した竹澤氏は、今度こそ人生をやり直したい、との決意を胸に、実家のある神戸へ。大阪の人材派遣会社に登録し、栃木県小山市の大手建機メーカーで派遣社員として働くようになった。

「私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(1)パチンコ店の金を持ち逃げ」のページです。デイリーニュースオンラインは、竹澤恒男求刑死刑 タイ・重罪犯専用刑務所から生還した男バンクワン刑務所週刊アサヒ芸能 2017年 9/7号刑務所社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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