プロレス解体新書 ROUND71 〈冬の時代に咲いた好勝負〉 迷走期の中邑真輔が川田利明に挑む (1/2ページ)

週刊実話

 昭和のプロレスファンには奇異にも映るクネクネと体をくねらせる闘いぶりで、今やWWEでもトップクラスの人気を誇る中邑真輔。
 新日本プロレス時代と変わらぬ試合スタイルで、しかも、本名のままアメリカで通用したのは、日本プロレス史上で中邑が初となる快挙であろう。

 2016年のWWE移籍から、ついにトップをうかがえる位置にまできた中邑真輔。
 「世界最大級のスポーツエンターテインメント団体といえるWWEにおいて、今夏のビッグマッチ『サマースラム』でメインイベントを任された中邑の世界的な知名度は、イチローやダルビッシュ以上。日本にいるとピンとこないかもしれませんが、エンタメの世界を見渡してもブロードウェイミュージカルに主演した渡辺謙ですら、相手にならない有名人といえます」(スポーツ紙記者)

 だが、そんな中邑も、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
 '02年に新日本プロレス入りした当初は、その資質から“総合格闘技戦要員”に抜擢されるも、翌年の大みそかにはK-1のアレクセイ・イグナショフと対戦し、膝蹴りでTKOの裁定を下される。中邑側の抗議により無効試合とはなったが、その印象は決していいものではなかった。

 プロレスにおいても史上最年少でIWGP王座を獲得するなど、会社からは大いにプッシュを受けたが、実績のなさもあってファンからの信頼は決して厚いものではなかった。
 「プロレス的な魅せるテクニックに乏しく、かといって総合格闘技でトップ争いをしているわけでもない。それでいて会社からは“選ばれし神の子”という大仰なニックネームを付けられ、そんな中邑に反感を持っていたファンも少なくなかった」(同)

 '04年の再戦でイグナショフに雪辱を果たすと、ようやく中邑はプロレス一本となったが、やはり、どこか煮え切らない状況は続く。
 同年11月の大阪ドーム大会では、ファン投票によりメインで棚橋弘至とのシングルマッチが組まれたが、アントニオ猪木の横やりで突如のカード変更。中西学と組んで藤田和之&ケンドー・カシンと対戦することになり、藤田にパワーボムからのサッカーボールキックでピンフォール負けした揚げ句、試合後には猪木からリング上で鉄拳制裁を受けるなど、踏んだり蹴ったりの結果となった。

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