プロレス解体新書 ROUND71 〈冬の時代に咲いた好勝負〉 迷走期の中邑真輔が川田利明に挑む (2/2ページ)

週刊実話


 「その理由についてはさまざまな憶測が流れていましたが、カード変更に文句をつけながらシュートを仕掛けるわけでもない中邑に対して、どっちつかずとみた猪木が感情に任せてやったというのが真相に近いのでは…」(プロレスライター)

 '06年の1・4ではブロック・レスナーの持つIWGP王座に挑戦するも、見せ場なく敗退。これを受けて海外修行に出た中邑は、半年後の凱旋帰国でひと回り大きくなった体を披露し、ヒール転向でイメージの一新を図ると、蝶野正洋とのコンビでG1タッグリーグ優勝を果たした。
 しかし、同年末にはレスナーから棚橋へと移ったIWGPヘビー級のベルトに挑むも、ピンフォール負けを喫してしまう。そうして年の明けた'07年の1・4。中邑はメインでもセミファイナルでもない、またタイトルマッチにも絡まない第6試合での出場となった。

 新日本プロレスと全日本プロレスの創立35周年記念と銘打たれたこの大会だが、発表された観衆は2万8000人と過去の新日ドーム大会では最低の数字。いわゆる“プロレス冬の時代”の真っただ中であった。
 対するは川田利明。その頃に川田が主戦場としていたハッスルは、試合の放送を予定していたフジテレビが離れて先行き不透明。'06年にノアのドーム大会で三沢光晴と対戦したが、試合後に先方から絶縁宣言をされるなど、中邑と同様に川田もまたどうにもさえない状況にあった。

 だが、本来であればメイン級の試合に出場すべき選手が浅い出番となったことで、お互いの意地が爆発したのか、両者の試合は大会ベストバウトともいえる好勝負となる。
 中邑の持ち味であるグラウンド技には、川田もストレッチプラムで対抗。激しい打撃やスープレックスの応酬となり、最後は川田がパワーボムから垂直落下式ブレーンバスターへとつなぎ、顔面へのミドルキックで3カウントを奪った。
 試合後、川田は「真輔、これまで3回戦った中で、今日は一番まともだったよ。お前、新日本を潰すなよ」「真の新日を引っ張るエースになってほしい」とエールを送った。

 そこから巻き返しに出るかと思われた中邑だが、同年夏のG1では優勝かというとき、準決勝で大怪我を負って3カ月の完全欠場。
 復帰後は今に続く新日復興の一翼を担い、徐々に中邑個人としての人気も高まっていったが、それでも結局、WWEでも通用する今のスタイルにたどり着くまでには、さらに4年ほどの歳月を要することになる。
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