鈴木哲夫の政界インサイド「阪神・淡路大震災の復興は道半ば」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

鈴木哲夫の政界インサイド「阪神・淡路大震災の復興は道半ば」

 あれからもう23年、いや、まだ23年と言うべきか──。

 政治がとるべき態度は後者、「まだ」のほうだと思う。この1月17日で阪神・淡路大震災から23年が経過。いまだ、あの時の傷を引きずる人は多いからだ。

 現在、とりわけ政治や行政に重くのしかかっているのが、災害復興公営住宅での孤独死。去年1年間で64人がひっそりと亡くなった。累計でも1027人が孤独死している。

 震災で住む場所を失った被災者が仮設住宅を出て、自宅を再建できれば幸いだ。が、そうはいかなかった人もいる。自力で家を建てられなかった人のために、行政は00年までに災害復興住宅4万2137戸を供給した。新規建設もあり、用地確保は難航。住み慣れた地を離れなければならない被災者も多かった。

「復興住宅入居者では高齢者が圧倒的多数を占めていました。隣近所のつきあいなど、あらゆる環境が変わって、引きこもりがちになり、一人暮らしのお年寄りが孤独死するケースが増えたのです」(兵庫県庁担当者)

 現に、先の64人のうち85%が65歳以上であった。また、死因の中には、自殺が6人含まれており、発見までに1カ月以上かかったケースも複数ある。地域とのつながりの欠如、コミュニティの崩壊が明らかとなっている。

 復旧・復興は行政の急務。だが、復興住宅で雨風をしのぐことはできても、被災者の心まで覆う屋根を作ることはできない。それほど被災者の人生は震災に翻弄され、新しい生活の準備には時間がかかるのだ。

 急ぐことだけが復興ではなく、政治が被災者に寄り添うことも重要なのだ。

 例えば、04年と07年の二度にわたって起きた新潟県中越地震。被災地の長岡市の森民夫市長(当時)が、「被災者の心」を第一に復興に取り組んだ。

 家屋が崩壊した地域住民に対して、市は災害復興住宅の建設を決め、高台に土地を確保して移転してもらう方針を決定。しかし、急ぐことはしなかった。

 住民が移転を決意するまで待ったのだ。市は住民たちの会合などにアドバイザーを参加させ、心のケアや集団移転の疑問点に答えるなど対応。そして、約5年後にようやく住民たちが住んでいた場所を離れる決意をして、初めて復興住宅に移ったのだった。

「鈴木哲夫の政界インサイド「阪神・淡路大震災の復興は道半ば」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 2/1号鈴木哲夫被災者阪神・淡路大震災被災地社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧