天才テリー伊藤対談「小林克也」(2)英語が喋れちゃうと儲かるんだね (1/2ページ)
- タグ:
-
週刊アサヒ芸能 2018年 4/12号
-
小林克也
-
英語
-
DJ
-
テリー伊藤
テリー 克也さんといえばラジオDJのイメージが強いですけれど、実際のデビューは29歳と、そんなに早くはないんですよね。
小林 そうですね。ワーナーとパイオニアが合併して「ワーナー・パイオニア」という新しいレコード会社を作ることになって、そこに大学時代に同じクラスだったヤツがいて、そいつの紹介で、主にワーナー・パイオニアの新譜をかける番組をラジオ関東でやらせてもらうことになったのが最初です。
テリー それまでは何をしていたんですか?
小林 まず大学1年の時に「通訳兼案内業」という試験に受かって、アルバイトで外国人観光客のガイドをしていたんです。当時は通訳が不足していましたから、旅行シーズンになるとドドッと依頼が来て、1日で家庭教師1カ月分ぐらいの稼ぎがあったんです。当時3万円ぐらいだったかなァ。
テリー えっ、本当ですか!? その頃ってアパートの家賃が1畳1000円って言われてた時代ですよね。大金じゃないですか。
小林 そうなんですよ。だから就職する気に全然ならなくて(笑)。そうしたら、ある時、芸能関係の事務所に勤めていた人に「お前、英語がしゃべれるんだったら話がある」と、ナイトクラブの司会を頼まれたんです。当時、力道山が刺された赤坂の「ニュー・ラテン・クォーター」とかデヴィ夫人がいた「コパカバーナ」とか、いろいろな店があって、ビッグナイトにはポール・アンカ、レイ・チャールズみたいな、来日したスターのショーが入っていたりしましたからね。
テリー すごい! そうそうたる顔ぶれじゃないですか。
小林 でしょう。だから最初は「俺、そんなのできないよ」って断ったんですけど、「いや、外国人相手にガイドやっているんだから、仕事は同じだ」「とにかくレギュラーで司会をやってる人が日曜は休みたいって言ってるから、とりあえず、その日だけやってくれ」って言われたんです。