昭和にあった商売「カタ屋」とは? (2/2ページ)
粘土の量も粉の量も増え、投資額もどんどん膨らんでいきます。3、4日してみんなが一番大きなカタの分だけ点数券がたまるころになると、オヤジは忽然と町から姿を消してしまいました。
「してやられた!」そう思ったときはもう遅く、私の半ズボンのポケットの中には点数券だけが残ったのでした。
私がそのオヤジを見たのはその1回きりです。インチキをしてトンズラしたのですから、同じ場所を訪れるわけにはいきませんからね。彼はそうやって日本全国を旅しながら回っていたのではないでしょうか。
ちょうどそのころに、カタ屋も滅んだのだと思います。私の後の世代には知っている人はほとんどいません。
紙芝居と違ってかなり小さな組織だったようで、目撃談は非常に少なく、謎が多いカタ屋。ネットで調べてみると、カタをちゃんと子供たちに渡し、数週間同じ場所で営業する定住型もあったようです。
しきりに蝉が鳴いていたあの神社での出来事は、すべてが白日夢のようで、今となっては貴重な体験をしたと思っています。
(写真・文/おおこしたかのぶ)