歴史偉人が遺した「“マル秘”健康」レシピ(3)北条早雲は家訓の「梅干し」で88歳まで生きた (1/3ページ)

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歴史偉人が遺した「“マル秘”健康」レシピ(3)北条早雲は家訓の「梅干し」で88歳まで生きた

 まだまだ紹介しよう。歴史偉人たちの偉業とそれを支えた食生活を追えば、あらためて日本の食文化が優れていることがわかる。

 幼児の死亡率が高く、平均寿命が短かった戦国・江戸時代。生活環境や医療が庶民と比べて格段によかったと思われる徳川将軍でも、平均年齢は51歳と長くはなかった。70歳を超えたのは開祖・家康(享年75)と最後の将軍・慶喜(享年77)の2人だけである。家康は日頃から健康に気を遣い、薬の調合もみずから行うほどだったが、長寿のもとは、意外にも麦飯味噌食にあった。

「徳川家康、豊臣秀吉、織田信長と天下取り3人の出身地は現在の中部地区です。米麹を使わない大豆100%の味噌、八丁味噌や三州味噌などの『豆味噌』圏。豆味噌にはアルギニンというアミノ酸が多く含まれている。豆味噌の常食が、ダイナミックな行動と生来の頭のよさを何倍にも飛躍させるうえで果たした役割は計り知れない」(永山氏)

 味噌は飛鳥時代に中国から伝わり各地に根づいたが、同じく日本人と切っても切れないのが梅干しだ。

 今の梅干しの原形ができたのは平安時代と言われている。この梅干しのおかげで長生きしたのが室町時代の武将・北条早雲だ。享年88歳というから今の時代でも長寿に入る。その半生は謎に包まれているが、息子・氏綱が生まれた時が55歳。興国寺城の主になったのが57歳なら、三浦半島の宿敵・三浦道寸父子を討ち相模全体を手中にしたのが死ぬ前年、87歳の時だという。90歳近くまで眼光鋭く、心身ともに若々しかった理由は、彼が残した家訓に見て取れる。「早寝早起き」と「神仏の信仰」、そして欠かさず食した「梅干し」にあった。

 料理教室も開くフードコンサルタントの川田孝子氏が言う。

「梅干しの酸っぱさの正体はクエン酸。

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