蟄居、島流し、切腹など江戸時代の武士への刑罰にはどんなものがあったの? (1/3ページ)
盛り上がりを見せる大河ドラマ「西郷どん」。彼が二回も島流しにあったことは、意外と知られていなかったのではないでしょうか。
自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [前編]時代劇ではおなじみの島流しですが、江戸時代、他にどんな刑罰があったのでしょうか。
歌川国芳「高僧御一代略記」
町人や僧侶など階級によって刑罰が違いますので、今回は武士への処罰を一部ご紹介しましょう。刑の軽いものから記していきます。
遠慮(えんりょ)自主的に行う意味合いが強く、門を閉ざして日中は外出を控えます。ただし訪問客は受け入れてもよく、夜も目立たないように外出すれば黙認されました。僧侶も科せられた刑です。
逼塞(ひっそく)門を閉ざして白昼の出入を許さないこと。閉門より軽く、三十日・五十日の二種ありました。僧侶も科せられた刑です。
閉門(へいもん)蟄居より軽く、逼塞より重い監禁刑です。屋敷の門扉は交叉された竹竿で閉ざされ、召使いなどの出入りは禁じられ、当主は一室で謹慎します。期間は50日間と100日間の二通りありました。
当主の気分を害したり不手際があると直ちに命じられるものなので、事例の多い刑の一つです。
蟄居(ちっきょ)これもよく耳にする刑罰の一つですね。幕末期には最後の将軍・徳川慶喜が上野寛永寺に蟄居しました。