天才テリー伊藤対談「田中道子」(2)親から反対されて家出で上京した!? (1/2ページ)
テリー プロフィールによると、大学生の時に「ミス浜松」のグランプリに選ばれているよね。やっぱり自分に自信があったんだ。
田中 これは副賞の車が欲しかったんです。母が乗っていた車を事故で壊してしまった時、友達が「ミス浜松」募集のチラシを持ってきて「これでグランプリを獲れば車がもらえるよ」と教えてくれたんですよ。
テリー その時、何人くらい応募があったの。
田中 恐らく数千人だったと思います。
テリー 結構な規模だね。そこでいきなりグランプリなんてことになったら、これはもう人生変わっちゃうでしょう。
田中 うちは父が教師で、すごく厳しいんです。その頃も毎日「学生の本分は学業だ。チヤホヤされて調子に乗るな」と言われ続けたので「芸能界に行こう!」みたいな、浮かれたことは考えられなかったんです。
テリー とはいえ、その2年後の「ミス・ユニバース・ジャパン2011」にも応募しているよね。
田中 世界大会に出られたら海外に行けるかな、と思ったからです。その時はもう二級建築士の資格を持っていて、大学卒業後は建築関係へ進んで外国でもお仕事をしたいという夢があったものですから、試しに行けたらいいな、と。結局は3位だったので行けなくて、諦めて就職活動を始めたんです。
テリー そこから、どうやってモデルの道に進むことになるの。
田中 ある企業の面接帰りに(東京の)表参道を歩いていたら、今の事務所のマネージャーさんに声をかけられたんですよ。「今、社長の時間が15分空いているから、面接していかないか?」って。
テリー 15分! また細かいねぇ(笑)。