悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!? (1/5ページ)

Japaaan

悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!?

古今東西、怨みをもって亡くなった方が「化けて出る」のはよくある話。

河鍋暁斎「幽霊図」明治三1872年

さて、今回紹介するのは聖武天皇の第一皇女・井上内親王(いのえないしんのう)。幼くして神に仕えた少女は、やがて朝廷での権力争いに巻き込まれていくのですが、その数奇な人生をたどってみましょう。

※以下、本来であれば周囲の状況によって呼び名も変わっていくのですが、ここでは「井上内親王」で統一します。

幼くして斎王に、そして京都に還るまで

井上内親王は養老元717年、時の皇太子殿下・首親王(おびとのしんのう。後の聖武天皇)の長女として生まれたとされています。

そんな井上内親王が5歳となった養老五721年の9月11日、彼女は斎王に卜定(ぼくじょう。占いの結果として決定)されます。

斎王(さいおう・いつきのきみ)とは伊勢の神宮にお祀りされている皇祖神(皇室の御先祖である神様)・天照大神にお仕えする聖職者で、未婚の皇族女性から選ばれました。

それから23年間にわたって厳しい精進潔斎(しょうじんけっさい。

「悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!?」のページです。デイリーニュースオンラインは、光仁天皇井上内親王奈良時代伊勢神宮皇室カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧