血と死と殺し合い…ケガレにまみれて生きる武士たちが信心深い理由とは? (1/3ページ)
「南無八幡大菩薩!」
戦場で最後に生死を分かつのは、人智の及ばぬ神の領域。
多く人を殺すが故に「武士は神をも恐れない」なんて、とんでもない誤解です。むしろ武士ほど神仏を畏れ、験(ゲン)を担ぐ商売もそうないのではないでしょうか。
神仏に見離されたら、死ぬからです。
鎌倉時代『蒙古襲来絵詞』より、竹崎季長。運を天に任せて突撃あるのみ。
その一方で、神仏は「ケガレ」を嫌います。
「ケガレ(穢れ・汚れ)」とは、死や流血など、そうした忌まわしいもろもろを指す概念ですが、武士はその「死」や「血」といったケガレにまみれて生きています。
その理屈で言えば、武士はこうした戦いから遠ざからねばならない筈ですが、戦わねば生きて行けぬ彼らは、この矛盾や葛藤と、どのように向き合っていたのでしょうか。
その一つのヒントが、武士道のバイブル『葉隠』に記されています。
(葉隠に関してはこちらの記事もぜひ!)
死ねばいいってもんじゃない?武士道のバイブル「葉隠」の有名フレーズが伝えたかった基本精神 神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども……『葉隠』第二巻に、こんな一節があります。