浅香唯「工藤静香さんや中山美穂さん、南野陽子さんと“アイドル四天王”と呼ばれて」ズバリ本音で美女トーク (1/5ページ)

日刊大衆

浅香唯「工藤静香さんや中山美穂さん、南野陽子さんと“アイドル四天王”と呼ばれて」ズバリ本音で美女トーク

 80年代に「アイドル四天王」の一人として、多くの男性ファンを魅了した浅香唯さん。今でも変わらぬかわいらしさを見せる彼女が、その活躍の裏側を本音で語ってくれました!

――1985年にレコードデビューされていますが、そもそもアイドル歌手になろうと思ったキッカケは?

浅香 赤いステレオが欲しかったんです(笑)。

――え、どういうこと?

浅香 84年に『シューティング・スター』という漫画の“浅香唯”というキャラのイメージ・ガールを探すためのオーディション企画があったんです。私は芸能界にまったく興味がなかったんですけど、そのとき副賞になっていた“赤いステレオ”がすごくかわいくて、どうしても欲しくなっちゃったんですよ。

――では副賞が“赤いステレオ”ではなかったら……。

浅香 絶対、受けていなかった(笑)。

――でも、オーディションから1年後、85年に“フェニックスから来た少女”というキャッチコピーを掲げてデビューしています。心変わりした理由は?

浅香 オーディションの後、いくつかの芸能プロダクションからスカウトがあったんですが、私の芸能界デビューに関しては家族全員が猛反対していたんです。親戚一同が集まって会議を開いていたぐらいで……。でも、家族会議の様子を見ているうちに、“私の人生のはずなのに、大人たちで勝手に決めてる”って反発心が湧いてきて。逆に「アイドルをやりたい!」って宣言しちゃったんです。

――ご両親が最終的には折れる形に?

浅香 そうでもなかったんですね。後日聞いたんですけど、私のデビューによって家族がバラバラになりそうだったみたいで……。私が実家の宮崎県から上京した日は、中学校の卒業式と同じ日だったんですけど、母は最後まで「あなたを東京に出すのは絶対に認めないから、見送りはしない」って言っていて。父も空港までは送ってくれたんですけど、見送りまではしてくれませんでしたね。

――上京して3か月後にシングル『夏少女』でデビュー。

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