長嶋茂雄「ミスタープロ野球」永久不滅伝説 (1/4ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 日本野球界のスーパースターがいよいよ戻ってくる。笑いと勇気と感動を与えてくれる珠玉の秘話の数々!

 2018年7月に体調不良のため緊急入院。一時は危篤状態とも報じられた“ミスタープロ野球”長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)が、12月13日に退院。太田区田園調布の自宅に戻っていることが分かった。「回復は順調で、もう家の中を歩いて、リハビリを本格開始しているそうです。目標としている2月の宮崎キャンプ視察も現実味を帯びてきました」(スポーツ紙デスク)

 今回、そんなミスターが残してきた「永久不滅」伝説の数々を、初めて明かしたい。伝説の始まりは、立教大学野球部への入部前。スポーツ紙元記者は語る。「“鬼の砂押”と言われた立教の砂押邦信監督は、まだミスターが高校3年生の秋、“うちの練習を見においで”と呼んだんです」

 だが知将が、ミスターを見学だけで帰すわけがない。「紅白試合で代打起用したんです。すると長嶋は、大学生の外角低めいっぱいのストレートを叩いて右中間に強烈なライナーを飛ばした。砂押監督は、その力強い打球と、カモシカのようなランニングを見て、その才能に一目惚れ。ケガをさせてはいけないと“長嶋くん、もういいよ”と、セカンドベースからベンチに引っ込めました」(前同)

 このときの投手は、後にプロに行く石原照夫氏。「後で石原に聞いたら、“あれを打たれたなら仕方ない”と脱帽してました」(同)

 その立教大学では、六大学リーグの通算新記録となる8本塁打を放ち、プロ注目の選手となったが、この8号ホームランの裏には、こんな話があったという。「4年春に7号を打ってから、8号の瞬間を連続写真で捉えようと、報知新聞は米国製の映画用カメラ『アイモ』を毎打席回すようになったんです。しかし、その後、8号がなかなか出ないまま、打率も3割を切ってしまいました」(同)

 秋も初戦の東大戦がノーヒットに終わり、調子が上がってこないミスター。

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