長野久義、村田修一、清原和博…巨人に捨てられた男たち (1/5ページ)

日刊大衆

長野久義、村田修一、清原和博…巨人に捨てられた男たち

 球界の盟主が、優勝のために敢行し続けてきた大型補強。そのカゲには多くの“犠牲者”が存在した……!?

 巨人ファンならずとも衝撃的な“人事”だった。今季、FAで巨人へ入団した炭谷銀次朗、丸佳浩両選手の人的補償として、巨人生え抜きの内海哲也、長野久義が、それぞれ放出されることになったのだ。「2人とも、原第二次政権から長年チームを支え続けた巨人の看板。そんな選手を手放したとあって、ファンはもちろん、巨人OBからも“どうして彼らをプロテクトしなかったのか”と、厳しい声が続出しました」(スポーツ紙記者)

 現在、FA人的補償のプロテクト枠は28人。1軍登録選手が29人であることを考えると、中心選手をすべて守るのは不可能に近い。功労者とはいえ、ピークを過ぎたベテラン選手が外されるのも仕方がないような気もするが……。

「彼らの場合は、ただの功労者ではないんですよ」 こう声を強めるのは、ある巨人関係者だ。「内海も長野も、他球団を蹴ってまで巨人入団にこだわった、いわば“ジャイアンツ愛”の象徴。それだけにショックが大きいんです」(巨人関係者) ファンならば、誰もが2人の“入団時のいきさつ”を知っている。だからこそ、今回の移籍が批判を集める結果となったわけだ。

 内海は、2003年に巨人入り。しかし、敦賀気比高3年だった00年、すでに他球団からドラフト1位指名を受けている。「プロ注目の左腕だった内海は、ドラフト前に“巨人以外入団しない”と宣言しましたが、オリックスが強行指名。入団を拒否して、東京ガスに進んでいます」(スポーツ紙デスク) 社会人に進んだことで、内海はドラフトで希望球団に入れる“自由獲得枠”の使用が可能に。3年後、晴れて巨人入団を果たす。

 一方、巨人・長野の誕生は、内海以上に難産だった。始まりは06年のドラフト会議。日大4年だった長野は、巨人志望を明言していたものの、日本ハムに4位で指名されてしまう。「最愛の球団から指名されず、長野は悔し涙まで見せていました。

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