プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ジョニー・パワーズ」猪木とNWF王座を争った新日草創期の看板外国人 (1/3ページ)

週刊実話

新日本プロレスの草創期、看板外国人選手の1人として、アントニオ猪木とNWF王座を争ったジョニー・パワーズがいた。自分勝手で試合は“しょっぱい”との評も聞かれたが、外国人招聘のブッカーとして助力するなど初期新日には欠かせない選手であった。
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 一口にチャンピオンベルトと言ってもプロレスとボクシングでは大きな違いがある。ボクシングの世界王座では一般的にベルトは王者の所有物となるため、王座挑戦時に収めるコミッショナーへの承認料には、新規ベルトの制作代金が含まれている(ただし、負けても代金は還ってこない)。

 一方、プロレスの場合は基本的に団体もしくはコミッションの管理物で、それを時々の王者が持ち回りで預かるかたちだ。

 これはベルトに対する考え方の違いによる。ボクシングのベルトは王者が勝ち取ったもの、プロレスのベルトは興行に箔付けするためのアイテムなのだ。

 ボクシングの王者はあくまでも個人の成果で、プロレスは王者が団体の顔として興行を背負う…つまりは王者の人気や能力がベルトの価値とイコールになる。

「NWA王座にしても初代王者を“第38代”としたように、その成り立ちは実にいい加減なものでした。これを世界最高峰にまで至らしめたのは、団体の力というよりルー・テーズやハーリー・レイスといった歴代の名王者たちの力によるところが大きい」(プロレスライター)

 逆に言えば、WWF(現WWE)に1984年からの世界侵攻を許して、NWAが衰退していったのも、WWF=ハルク・ホーガンとNWA=リック・フレアーの差であったと考えられようか。

 新日本プロレスがIWGPを独自で立ち上げる以前にメインタイトルとしたNWF王座も、来歴を振り返るとアメリカ北東部のローカルタイトルにすぎなかった。その価値を日本国内で高めたのは、まさしくアントニオ猪木の力によるものである。

 NWFが設立されたのは’70年で、新日旗揚げのわずか2年ほど前のこと。団体創設者でもあるジョニー・パワーズはフレッド・ブラッシーを下して初代王者となり、ジョニー・バレンタインやアブドーラ・ザ・ブッチャーらと抗争を繰り広げた。

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