知的障害を持った青年が冤罪で死刑となり「世界一幸せな(楽しそうな)死刑囚」と呼ばれるまでの物語(アメリカ)※追記あり (1/5ページ)
image credit:youtube/El Juicio de Joe Arridy
1915年4月29日、ジョー・アレディはアメリカ・コロラド州プエブロで生まれた。知的障碍を患っていたため、人生の大半を知的障碍者施設で過ごした。
彼の知能指数は46で、そのふるまいはまるで子供のようだった。5までしか数を数えることができず、赤と青の違いもわからなかった。施設では、度々暴力やいじめを受けており、1936年8月に施設を出た。
施設を出た後、鉄道構内をうろついていたジョーは警察の取り調べをうける。近くで暴行殺人事件が発生していたのだ。
厳しい尋問の末、ジョーは自分がやったと自白した。
後にそれは嘘であることがわかる。
これは決して美談ではない。時代に翻弄され、今でもアメリカで語り継がれている悲しい青年の物語だ。
El Juicio de Joe Arridy
・コロラド州の民家で起きた暴行殺人事件
1936年8月16日、コロラド州プエブロで、15歳のドロシー・ドレインという少女が殺害される事件が起きた。
この日の午後10時頃、ドロシーの両親、ライリー・ドレインと妻のペギーはダンスホールに行くため外出していた。
帰宅したとき、2階の寝室からうめき声が聞こえたので、慌てて駆けつけると、ドロシーは瀕死の状態で倒れていた。12歳の妹バーバラも重傷を負っていた。
ふたりは斧で襲われ、ドロシーは性的暴行を受けていた。バーバラは奇跡的に回復したが、ドロシ
ーは亡くなった。