ソ連のスパイとして活動し、日本で逮捕され死刑となったリヒャルト・ゾルゲ

心に残る家族葬

ソ連のスパイとして活動し、日本で逮捕され死刑となったリヒャルト・ゾルゲ

スパイと聞くと「007」や「ミッションインポッシブル」といった映画の中の、自分とは全く無縁の世界の存在のように思えるが、今現在もスパイは存在する。2010年にはアメリカでロシアの美人スパイが逮捕され、2018年にはイギリスでロシアの元スパイ毒殺未遂事件が起こって話題を集めた。日本の歴史上で最も有名なスパイは「ゾルゲ事件」で知られるリヒャルト・ゾルゲだろう。1933年から6年間に渡って日本で諜報活動を行い、1944年に巣鴨拘置所にて死刑となった。そのゾルゲは、今も日本で眠りについているのだ。

■リヒャルト・ゾルゲのスパイ活動

スパイ・ソルゲことリヒャルト・ゾルゲは、ロシアがまだ帝政だった1895年10月4日、ロシア帝国内バクーで、ドイツ人の父とロシア人の母との間に生まれた。その後ベルリンへ移住し、第一次世界大戦が始まるとドイツ陸軍に従軍。戦闘で負傷したゾルゲは、入院先で看護師から社会主義の話を聞き、1917年に勃発したロシア革命に衝撃を受けて社会主義へと傾倒して行く。1919年、ドイツ共産党に、その後ソビエト共産党にも加入。軍事諜報部門に配属されスパイとなった。1930年、ドイツの新聞記者として上海に潜入する。コードネームは「ラムゼイ」。1932年にイギリス警察からスパイと認定されると、1933年9月、日本に姿を現わした。日本の歴史、政治、言語についての豊富な知識と、上海時代に知り合った日本人との人脈を駆使して情報網を広げ、「ゾルゲ諜報団」を組織して日本軍の動きをソ連へと打電し続けた。


■逮捕され死刑が執行されたリヒャルト・ゾルゲ

ドイツ人記者として巧みに警察の目を欺いて来たゾルゲだったが、1940年、ついに特高警察がゾルゲの捜査を始める。1941年、ゾルゲ諜報団の構成員が次々と逮捕され、10月にはついにゾルゲも逮捕された。巣鴨拘置所に拘留されたゾルゲはソ連のスパイである事を認め、3年後の11月7日、巣鴨拘置所で死刑が執行された。この一連の逮捕が「ゾルゲ事件」だ。

そのゾルゲの墓が、東京都の多磨霊園にある。暮石には、ゾルゲ自身の名前の下に、一人の日本人女性の名前が刻まれている。「妻 石井花子」。

■リヒャルト・ゾルゲの墓標に刻まれた文字

ゾルゲは体格が良く、栗色の巻き毛と鋭い眼光が魅力的な男で女性にモテた。夜の銀座で派手に飲んでいたゾルゲとつきあった女性は多い。

1933年、ドイツ人が営む銀座の酒場「ラインゴールド」でホステスをしていた24歳の石井花子はそこで40歳のゾルゲと出会い、6年後のゾルゲの逮捕までその交際は続いた。ゾルゲが死刑になった時、遺体はドイツかソ連に戻されたものと思われていたが、実は両国から引き取りを拒否され、東京の共同墓地に土葬されていたのだ。戦後、それを知った花子は占領下の東京で懸命にゾルゲの遺体を探し、ゾルゲの死から5年後の1949年、ついにゾルゲの遺体を発見。多磨霊園にゾルゲの墓標を建てたのである。ゾルゲとの思い出を綴った著者「人間ゾルゲ」を執筆した石井花子は、今、そこでゾルゲと共に眠っている。二人は正式に籍は入れていなかったが、墓標に刻まれた「妻」という文字から、花子の固い意志が伝わってくる。

■時代が変わっても暗躍し続けるスパイ

1980年代、ある製薬会社で受付をしていた知人の話によると、ある日、一人のロシア人男性が、サンプルを貰うために訪ねてきたという。当時、スパイ小説にはまっていた彼女は、流暢な日本語を話す鳶色の髪と瞳のその男性を見て「こ、これはスパイかも」と思ったそうだ。そして実際、スパイだったという事が後に判明し、今もその時の事が忘れられないと言う。その男がその後どうなったのかは知るよしもないが、今もスパイは、世界中で暗躍している。

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