三蔵法師は人の名前ではなかった。日本唯一の三蔵法師「霊仙(れいせん)」 (1/2ページ)

心に残る家族葬

三蔵法師は人の名前ではなかった。日本唯一の三蔵法師「霊仙(れいせん)」

霊仙(れいせん)は日本の平安時代前期の法相宗の層であり、日本で唯一の三蔵法師です。実際の生まれは不明ですが、近江国(現・滋賀県)や阿波国(現・徳島県)出身とも伝えられています。ちなみに「西遊記」のドラマで知られている「三蔵法師」ですが、実は人の名前ではありません。西遊記の三蔵法師のモデルとなったのは「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という人物で、数ある三蔵法師の一人です。

■三蔵法師とは?

三蔵法師の三蔵とは「経蔵(きょうぞう)」「律蔵(りつぞう)」「論増(ろんぞう)」の三つの像のことを言います。

「経蔵」とはお釈迦様が説かれた「お経」
「律蔵」とはお釈迦様が決めた「戒律」
「論蔵」とはお経の内容を後世になってからインドの仏教の先生が解説されたもの

この三つの蔵を「三蔵」といい、三蔵法師はこの三蔵に精通した僧侶のことを言います。

■日本でただ一人の三蔵法師「霊仙」

霊仙は六歳から十五歳頃まで霊仙寺で修業をし、十五歳の頃、奈良興福寺へ入山。法相宗の教義を修行し、合わせて漢語を習得したとされています。

霊仙は修行中、大日如来が現れ、その教えを学ぶためには唐に渡らねばならないと決意。しかしそのチャンスが訪れたのは霊仙が四十五歳の頃でした。

霊仙が乗った遣唐船には、最澄と空海という仏教史上もっとも有名となる二人が同船していました。共に入唐しましたが、最澄はわずか八か月。空海は三年で帰国。霊仙は憲宗皇帝の信厚く帰国を許されず、その後二十三年という長きに渡り在唐。帰国はついに叶うことはありませんでした。

■無名だった霊仙に与えられた三蔵法師

有名な最澄と空海の二人に比べ無名の霊仙がいかに優秀な人であったのは、憲宗皇帝が層の最高称号である「三蔵」を授与したことでわかります。霊仙は「霊仙三蔵」になり、日本でただ一人の三蔵法師です。

霊仙は空海と共に教典研究を行っていました。空海はその後恵果のもとへと去りますが、霊仙はそのまま研究を続けていました。その後皇帝に命じられ般若三蔵を中心とする八人の高僧に選ばれ、皇室に保管されていた経典「大乗本生心地観経」の漢訳を行うことになりました。

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