品川区大井にある大井蔵王権現神社を調べてみたら面白い言い伝えを見つけた (1/8ページ)

心に残る家族葬

品川区大井にある大井蔵王権現神社を調べてみたら面白い言い伝えを見つけた

JR京浜東北線・東京臨海高速鉄道りんかい線大井町(おおいまち)駅中央口を出て、立会(たちあい)道路沿いのビルの谷間に、実に小さな神社がある。祭神は金山毘古(かなやまひこ)神・金山毘賣(かなやまひめ)神・建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)である、大井蔵王権現神社だ。平成3(1991)年から始まった「荏原(えばら)七福神巡り」のうちの福禄寿(ふくろくじゅ)を祀ってもいる。

■大井蔵王権現神社の創建時期と歴史


創建時期は不明だが、平安期の一条天皇の御代(986〜1011年)の頃と言われている。江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』(1830年)には、「蔵王権現社」は大井村の北の高台にあり、神社周辺は「権現台」と呼ばれていたと記録されている。明治43(1910)年に鉄道院の大井工場(現・JR東日本東京総合車両センター)が建設される際に、地域を管掌していた来福寺(らいふくじ、現・品川区東大井3−13−1)に合祀されたが、大正14(1925)年、台地の南側に位置している日本理化工業株式会社(現・株式会社日本理化工業所)の敷地の一部に遷座され、「大井蔵王権現神社」として、今日に至っている。昭和63(1988)年に現在の社殿が新築されたが、奥殿には幾度もの「場所の移動」にも関わらず、寛政5(1793)年に建造されたという石堂が、今も受け継がれている。

■大井蔵王権現神社に伝わる面白い言い伝えとは?

この小さな神社には、面白い言い伝えがある。江戸時代の中頃、江戸市中に大火や疫病が蔓延していたが、神社周辺地域は無事だった。それは権現神社の天狗のおかげだった。それ以来村人たちは、太鼓を叩いたり、天狗を祀ったお神輿を担いだりして、感謝の意を表したという…。

「権現」とは、本来仏教で仏菩薩が衆生を救う方便として、権(かり)に種々の姿に化して現れることだが、日本では本地垂迹思想の発達に伴って、平安時代以降に、日本の神道の神々に仏や菩薩たちが当てはめられていった神称である。

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