「聖なるもの」の喪失が教える「価値あるもの」 (1/3ページ)

心に残る家族葬

「聖なるもの」の喪失が教える「価値あるもの」

2019年4月15日フランス・パリのノートルダム大聖堂が火災により炎上したニュースは世界を揺るがした。仏・マカロン首相は早々に復興を宣言し、世界から寄せられた寄付金の総額は1000億円にのぼっているという。これが凱旋門やエッフェル塔であっても、やはり落胆は大きかっただろう。しかし、炎上する大聖堂を前に何千人という人達が祈りを捧げ、泣き崩れる光景はその他の文化遺産に対する思いとは異なるものだった。

■ノートルダム大聖堂の炎上

宗教的な建造物はその他の文化遺産とは異なる特別なものである。それは世俗的な価値観を超えるものであるからだ。宗教建造物は科学的合理主義の観点からみれば観光資源以外の何物でもない。しかしそれに留まるものではない。4月21日のTBSテレビ「サンデーモーニング」で、文化人類学者・上田紀行(東京工業大学教授)は、このように述べた。

「全てが経済化されて、全てが儲かればいいんだ、効率的に運ばなければいけない、という中で、お金では計り知れない、何か変わらない価値を持ち続けている。その遺産があることによって自分たちの文明、自分自身の存在が支えられているというような畏敬の念をかきたてる部分がある。そのことが逆にこれだけ毎日毎日変転していくような変化の激しい現代の中では重要さを増していると思えます」

■フランス国民にとってノートルダム大聖堂とは

大聖堂はパリの中心に鎮座する。フランス国民にとっての統合の証であり、全てのカトリック信徒、さらにはヨーロッパ人の聖地でもある。だからこそ、その炎上の報にはカトリック以外のキリスト教徒、大聖堂を知る人々の心を薙いだ。

報道では涙を流し聖歌を歌う人々の様子が映された。我々日本人から見れば馴染みのない光景である。伊勢神宮や法隆寺が炎上している様を想像すれば近づけるかもしれないが、我々はあそこまで感情を移入できるだろうか。おそらく我々が落胆するとするなら、由緒ある寺社を失ったことへの歴史的な損失に対する「惜しい」「残念だ」という思いではないだろうか。

2015から17年にかけて、寺社の施設に液体をふりかけた事件が発生した。

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