歴代総理の胆力「大隈重信」(2)食客・五代友厚からの箴言 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「大隈重信」(2)食客・五代友厚からの箴言

 こうした短命内閣の背景は、大きく三つの要因が挙げられる。

 一つは、「隈板内閣」としての“二枚看板”への期待の声があったものの、両雄並び立たずで強力な推進力とはならなかった点だ。

 二つは、大隈は野党政治家としては、「在野の雄」との声があったように一級の人物だったが、宰相としては脇の甘さを露呈した点だった。大隈への当時のアダ名は「ザル碁」、色々と手数は打つが“水漏れ”が目立ったということだった。

 そして、三つ目が、その性格にあった。とにかく頑固で短気、先の「ザル碁」の一方で「瞬間湯沸かし器」のアダ名もあったのだ。このことについては、演説の特徴である「‥‥であるんである」調全開で、自ら次のように豪語しているだけにハンパではない。

 いわく、

「私は、命令を聞く男ではない。頑固であるんである。これは誠に善い性質ではない。けれども、どうも七十になっても、この性質を止めることはできないのである。死に至るまで頑固剛情で生き終わるつもりであるんである」

 若き日、大隈家の食客(しょっかく)となり、後年、関西財界のリーダーとなる五代友厚(ごだいともあつ)は、大隈が総理の座に就いたあと、あえて師たる大隈に次のような短所の“克服”を要望したのだった。五代友厚はNHK朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが好演、記憶に残る読者もいるだろう。五代はかつて世話になった大隈に平伏しつつも、次のような箴言を口にした。

「人の愚説愚論に、一応の耳は傾けてみるべきである。自分より地位が下の者との意見が五十歩百歩のときは、相手をほめてその意見を採用すべきである。怒気怒声を発するのは、徳のなさを知られ、得することは一つもない。物事の決断は、あせってはいけない。一呼吸、置いてから決すべし。相手を嫌いだと突っぱねれば、相手も距離を取ってくる。ために、自分から心を開けば人は拠って来、人脈形成につながるものとなる」

 第一次内閣を4カ月で投げ出さざるを得なかった大隈だったが、その反骨精神をのちに早稲田大学となる東京専門学校の運営に注ぐことになる。しかし、学校運営は順風とはいかなかった。なにしろ、入学金、月額授業料は各1円でスタートしたものの、学生と教師も思惑どおり集まらずの経営難であった。

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