プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「スティーブ・ウィリアムス」日本マットに2つの転機をもたらした“殺人医師” (1/3ページ)

週刊実話

 急角度のデンジャラス・バックドロップは何度見ても思わず息をのむ衝撃度。荒っぽいファイトスタイルで、三冠ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得したスティーブ・ウィリアムス。彼が咽頭がんにより49歳の若さで亡くなってから、今年で10年になる。

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 スティーブ・ウィリアムスは日本のプロレス界に2つの大きなターニングポイントをもたらしている。

 “歴代最強の外国人レスラー”というようなランキングでその名が上位に挙がることは少ないものの、日本のプロレス史という観点からすると実はかなり重要なキーマンなのだ。

 初来日は1986年7月の新日本プロレス。扱いにくいブルーザー・ブロディに代わる新たなエース外国人候補として期待されたが、同年10月、2度目の来日時に事件は起きた。

 東京・後楽園ホールでのアントニオ猪木とのシングルマッチ。試合開始のゴングと同時にハチャメチャに殴りかかっていったウィリアムスは、猪木をロープに振って正面から抱え上げると、スパイン・バスターの要領で背中からマットに叩き付けた。

 しかし、カバーに入ると猪木はピクリとも動かない。そのままカウント3で“秒殺”となる寸前に、慌ててウィリアムスは猪木を引きずり起こした。

 「演出でもなんでもない完全に猪木がフォール負けするタイミングで、これには場内も騒然となりました」(スポーツ紙記者)

 不運なことにこの試合はテレビ生中継。4日前に行われた『INOKI闘魂LIVE』における猪木vsレオン・スピンクス、前田日明vsドン・中矢・ニールセンの録画中継と併せての放送とあって、半ば放送事故ともいえそうな惨劇は広く全国のファンに届けられてしまった。

 なお、試合自体は猪木の勝利に終わったものの、放送時間の関係からか結末まで流されることなく、途中で前田vsニールセンの録画中継に切り替わっている。

「前田の鮮烈さに比べて、猪木は新顔のウィリアムスにKO負け寸前の体たらく。

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