総資産70億円!54歳でクーデター成功?ハンパない日本三大悪女「日野富子」その3 (2/2ページ)

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あれだけ溺愛した息子の義尚も、長じるにつれ母親の富子をうざったがるようになり、家出してしまった上に酒に溺れるようになってしまいました。

足利義尚像(日野富子の長男)Wikipediaより

そして延徳元年(1489年)、義尚は25歳の若さで夭折。意気消沈する富子に追い打ちをかけるように、翌年正月には夫の義政が死去してしまいます。

クーデターまで起こした晩年

さぞ落ち込むかと思えば、彼女の人生はここからがまた大騒動。次の10代将軍になんとあれだけ対立した義視の息子、義材を推して将軍職に就けます。これは義視のためではなく、富子の妹が義視の妻であり、義材の母だったためです。あくまで身内びいき!

しかしそれだけにとどまりません。

義視が死に、義材が富子の事を疎んじ始めると(富子は口うるさいのでいつも疎んじられる)、細川政元という武将と手を組んでクーデターを起こして義材を追いやり、代わって足利義澄を11代将軍に就けました。

富子さん勝負運強すぎ!

ようやくほっとしたのか、富子はその3年後、明応5年(1496年)に 57 歳で生涯に幕を閉じました。

いろんな悪女エピソードはありますが、振り返ればすべて身内と自分の身を守るためにまっしぐらな人生でした。彼女にもう少し広く世間に目を向ける視野があれば、「悪女」ではなく敏腕政治家として名を残したかもしれません。

日野 富子

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