憎まれっ子、世に憚る!父親の仇討ちで新選組に入隊した三浦啓之助の生涯を追う【上】 (1/4ページ)

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憎まれっ子、世に憚る!父親の仇討ちで新選組に入隊した三浦啓之助の生涯を追う【上】

時は幕末。京都の街を闊歩した新選組(しんせんぐみ)は、尊皇攘夷を掲げて幕府を補佐する「佐幕派」の急先鋒として不逞浪士は元より、倒幕を目論む薩摩・長州藩士など「開国派」の暗殺・粛清に活躍したことで知られています。

しかし、新選組は身分や出自を問わず幅広く人材を求めたことから、その思想面において必ずしも一枚岩ではなかったようです。

今回はそんな一人・三浦啓之助(みうら けいのすけ)の生涯を紹介していきたいと思います。

佐久間象山、Wikipediaより。

啓之助は開国派の洋学者として知られる佐久間象山(さくま しょうざん)の庶子として、嘉永元1848年11月11日に誕生(母親は愛妾・お蝶)。初名を佐久間恪二郎(かくじろう)と言いました。

そんな恪二郎は元治元1864年、17歳で父・象山に随行して故郷である信州松代藩(現:長野県長野市松代町)から上洛します。

父の仇討ちで新選組に入隊!

しかし同年7月11日、象山が京都の三条木屋町で「人斬り彦斎」こと河上彦斎(かわかみ げんさい)らの襲撃に遭い、暗殺されてしまいました。

「父上っ!」

河上彦斎。

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