八代亜紀「“美人喫茶”で歌って…」ズバリ本音で美女トーク (1/5ページ)

日刊大衆

八代亜紀「“美人喫茶”で歌って…」ズバリ本音で美女トーク

 国民的歌手と言っても過言ではない八代亜紀さん。来年デビュー50周年を迎える彼女が、歌手を目指すきっかけからデビュー後の苦労、さらには画家としての活動などについても明かしてくれた!

――今年の4月からは歌謡番組で自身初となる司会を務めるなど、今なお演歌界の最前線で活躍中の八代さん。来年、デビュー50周年を迎えますが、そのルーツをたどってみたいと思います。

八代 私が2歳半ぐらいのときに父が私を寝かしつけるために毎晩、浪曲を聴かせていたのね。母子もので意味も分からないのに、母子の別れのところになると泣いていたらしいんです。父は、この子はすごく感受性が強いんだなって思ったらしいんです。私が“歌手になろう”と決意したのは12歳のときでした。

――幼い頃に才能が開花されたんですね。歌手を目指したきっかけは何だったんですか?

八代 当時、父が買ってくれたアメリカの女性シンガー、ジュリー・ロンドンのLPレコードを聴いて、彼女が歌うスタンダード・ジャズに、とても魅力を感じたんです。同じ頃に父が独立して会社を作ったんですけど、なかなか軌道に乗らなくて苦労していたんです。そんな父を見て“ジュリー・ロンドンのような一流のクラブシンガーになって、うんと稼いで、お父さんを助けよう”って思ったんです。そこで私の道は決まったんですね。

――親思いだったんですね。それで、オーディションを受けられたと?

八代 いえいえ。とにかく歌を歌う仕事をやろうと、15歳のときに年齢を偽ってキャバレーで働いていたんです。

――それは思い切ったことをしましたね。

八代 私の声って父譲りで、子どもの頃は周りの子と違っていて嫌いだったんです。ところが、キャバレーで披露したら、フロアにいたお客さんが立ち上がってダンスを始めたんです。そのとき初めて自画自賛じゃないけど、良い声だなって(笑)。

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