歴代総理の胆力「岸信介」(2)笹川良一が仰天したエピソード (1/2ページ)

アサ芸プラス

歴代総理の胆力「岸信介」(2)笹川良一が仰天したエピソード

 その岸は、東京帝国大学法学部を首席で卒業したが、あえて官僚の「本流」である大蔵省や内務省に入らず、農商務省に入っている。

 すでに、学生時代にして、以後の日本の課題が産業の興隆いかんにかかることを読んでいたということだった。

 こうした俊才は、農商務省で確実に頭角を現し、出向先の「満州国」では、合理化と官民協同による産業育成を成功させてみせるなどの手腕を発揮、ついにはその後改組された商工省の次官にまで上り詰めたものであった。

 とくに、その頭脳明晰ぶり、キレ味は満州国あるいは国内の政財官界に知れわたっていた。「満州国産業開発5カ年計画」の立案を手がけたのが白眉で、満州では「二キ三スケ」として知られていた。これは関東軍参謀長の東条英機、大蔵省から派遣された星野直樹、満鉄総裁の松岡洋右、「日産」の鮎川義介の5人の満州国を動かした実力者で、岸はその最年少だったのだ。

 一方、岸は法案などの行政事務では相手かまわずケンカを売り、ことごとく論破しては相手を沈黙させるのをトクイとした。岸が商工省次官当時の近衛文麿(このえふみまろ)内閣の小林一三(いちぞう)商工大臣などは、この岸次官に完全に一目置き、「ケンカ名人の君と議論するのはもうイヤだ」と、そのキレ味にはホトホト参ったとの話が残っている。

 しかし、岸は戦時中の東条英機首相にもその秀才ぶりを買われ、東条内閣末期の国務大臣兼軍需次官にも引き上げられている。しかし、戦後、この東条内閣での国務大臣兼軍需次官がアダとなり、A級戦犯として逮捕、巣鴨拘置所入りを余儀なくされたのであった。岸は3年3カ月余をこの「巣鴨」で過ごしたのち、不起訴として釈放されたが、同時にパージにも引っかかったということだった。

 一方で、この「巣鴨」体験は、のちのトップリーダーとしての岸の政治的信念をいやが上にも強固なものにしていった出来事だったとされている。新日米安保条約締結への確信も、「巣鴨」での獄中にあってなお信念の揺るがぬ実力者たちとの接触の中で得たとされているのである。

 ちなみに、岸をよく知る政界関係者の一人は、かつて岸の「巣鴨」でのこんなエピソードを筆者に語ってくれたことがある。

「歴代総理の胆力「岸信介」(2)笹川良一が仰天したエピソード」のページです。デイリーニュースオンラインは、笹川良一週刊アサヒ芸能 2019年 12/12号内閣総理大臣岸信介小林吉弥社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧