技術が体系化され自己啓発的な側面も…“ストリートナンパ”の世界

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傍目にはチャラいだけのナンパだが…
傍目にはチャラいだけのナンパだが…

 1月2日は姫始めの日だ。だが、世の中の誰もがこのようなイベントを迎えられるわけではない。コンビニ弁当で正月を迎えたり、家で猫と過ごすしかない独り身の人たちもいる。そして、年明け早々、街頭に立ち、道行く女性たちに声を掛けては無視される人たちも……。ストリートナンパだ。

 だが、ナンパに勤しむ彼らは日々空しく時間を費やすだけのモテない可哀想な人たちなのだろうか? その答えはある意味Yesであり、ある意味Noである。知られざるストリートナンパの世界を少しだけ覗いてみよう。

 ナンパ師を見るわれわれの視線は多くの場合、蔑視的である。ヤレれば誰でもいい、といった即物的感性をそこに感じ取ってしまうからだ。女性の中には彼らに声を掛けられることを迷惑に思う人たちもいるだろう。彼らのナンパ活動が成功するようには見えないかもしれない。だが、彼らが女性との性交渉を勝ち取ることは実は少なくないのである。

 例えば、新米ナンパ師の始めたあるブログを参照すると、童貞であった彼はナンパ開始から約40日で初めての性交渉に成功している。

人に出会いにナンパに感謝~2nd season ぼちぼちやっていきます~

 その後はコツを掴んだのか、性交渉の回数も増えていく。それまで人生で一度も性交渉をしていなかった人が、その気になって40日間努力をすることでナンパに成功したのだ。では、ナンパは簡単なのか?

 いや、そうではないのだ。むしろナンパはわれわれの想像する以上に難しいらしく、初心者は女性に話しかけようとしても勇気が出ずに立ち竦んでしまい、何時間も何もできずに終わってしまうことさえあるという(これを専門用語で「地蔵」という)。では、そんな初心者たちはどうやって成功を勝ち取っていくのだろうか? 

 実は、ナンパ師たちには師から弟子へと継承されていく、ナンパ技術体系が存在するのである。まるで少年漫画のような話だが、これは事実だ。彼らはフラッと街頭に立ち、適当に女の子に声を掛けているのではない。体系化された技術を修得し、培われた技術を街頭で発揮しているのだ。信じられない話だろうが、事実なのだ。

ナンパして「ギラつき」、「グダ」にはルーティンで対応

 ナンパ師たちが用いる技術体系を「ルーティーン」と呼ぶ。

 ルーティーンは「予め決められた手続き」を意味する言葉で、つまるところ、女の子とのコミュニケーションの定式化である。

 例えば、ナンパが佳境に至り、いよいよ女の子に性交渉を迫る段となった時(これを専門用語で「ギラつき」と呼ぶ)、女の子はそれを拒否する様々な動きを見せる。グダグダと拒否される、という意味で、これを専門用語で「グダ」と呼ぶが、ナンパ師たちはこれを「終電グダ(終電だから)」「生理グダ(いま生理だから)」「彼氏グダ(彼氏がいるから)」などに分類する。

 グダの種類はある程度決まっているらしく、そのグダに応じた成功率の高い崩し方を彼らは学ぶのだ。「彼氏グダが来たらこう返せ」というように状況状況に応じた定式化が行われ、詰将棋めいた会話術で女の子のガードを解いていく。

 元々は一人一人のナンパ師が手探りで様々な会話術を試す中で、成功率の高い受け答えが残っていき、それが遂には公式化されたのであろう。後続のナンパ師たちは先達からその公式(ルーティーン)を学ぶことで、いきなり成功率の高いナンパ活動を行うことができるのだ。

 ナンパ師にもランク付けがなされている。ナンパ師の講習会は相応の金額であり、ルーティーン学習用のCD教材が販売されることさえある。新米ナンパ師のサラリーマンたちは通勤中の車の中でCD教材を流し、ルーティーンを記憶して、アフター5のナンパに備えるのである。

 まるで英会話学習だが、これは実際に有効らしく、ナンパ師たちは「頭の中でCDの口説き文句を思い出しながら」それを真似して女性との受け答えを行ったりするのである。上述のブログでは、新米のナンパ師がこのやり方で徐々に実績を上げていく様子が描かれている。

 われわれ部外者からは蔑視的視点で見られることもあるナンパ師たちだが、ある種の人々からすれば彼らは憧れの対象でもある。「街頭で見知らぬ異性に声を掛け」「性交渉という深い関係を構築する」彼らのようなことができれば、自分は何でもできる、自分は変われる、そう思う人たちがいる。そう思い、彼らはルーティーンを学ぶ。

 実際にナンパ師の講習会に来るような人たちは、チャラい人たちよりも、むしろ、これまでの人生では何も楽しいことがなかったかのような、どんよりとした人々が多いのだという。

 何かを変えんとして彼らはナンパの道を選ぶのだ。信じられないことだろうが、ナンパには自己啓発的な側面がある。また、ナンパ師によっては、ほとんど対人恐怖症のカウンセリングのような講習会を行うことさえあるという。

 もちろん、講習会で学んだからといって、実際にナンパを実践し成功に至れる人ばかりではない。上記の新米ナンパ師のブログにしても、毎回、今日のナンパの反省点を列記して、次からの改善点などを綴っている。相当の内省的努力を支払っているのだ。こんな真面目な活動、皆が皆できるわけがない。

 では、ルーティーン学習と日々の内省により、性交渉に成功した彼らは幸せになれるのだろうか? それ自体は一つの成果に違いないが、そこで戸惑ってしまう人たちがいる。定式化された交渉に成功し、彼らはこれまでできなかった性交渉に至った。

 しかし、これを繰り返すうちに、機械的コミュニケーションで相手女性との関係性を築き上げることに疑問を抱き始めるのである。

 冒頭で書いた「ある意味Yesであり、ある意味Noである」の意味はここにある。ナンパ師の間では「ナンパ師のパラドクス」を指摘する者もいる。ナンパ師は技術を磨き、感情を捨てた方が成功率が高くなる。だが、感情が昂ぶり、己の感情に揺さぶられてしまうと、技術が揺らぎ、成果を得辛くなるのだ。

 なので、ナンパ師として成功するためには自然な恋愛感情を押さえ付ける必要が出てくるのだが、果たしてそれは幸せなのか、という問題である。彼らはそのジレンマに苦しみながらも、今日もナンパを行うのだ。

 いかがだっただろうか。ストリートナンパ師たちは気軽な気持ちで街へ出て、気楽に女の子に声を掛けては無視されるだけの憐れなピエロではない。彼らは学習し、反省し、練磨し、体系化し、そしてパラドクスに悩み苦しみながらナンパをしていたのである。筆者も実際のナンパ師に取材するまで知り得なかった世界がそこに広がっていた。

 なお、筆者が知人女性にこの話をしたところ、彼女は「そのエネルギーを別のことに傾ければ……」と漏らしたが、これは当然の反応と言えよう。だが、忘れてはならないのは、ナンパには自己啓発的な側面が含まれていることだ。

 例えば、「ナンパで1300人斬り」などと聞くと、われわれ男子は「最強の男」と思ってしまうのである。そんな偉業を成し遂げたなら他にもなんだってできる!と感じてしまう。そう、別のことにエネルギーを傾けられないからこそ、“己を変えるために”ナンパに挑む者たちも多くいるのだ。

 ナンパに関しては、他にもまだ書くべきことや提示したいデータなどがある。機会が得られるなら、また別の時に詳しく書くこととしよう。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『仁義なきキリスト教史』(筑摩書房)

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